私の正体は? ―鑑定刀 第八回【解答】第八回問題第八回解答第七回問題第七回解答第六回問題 第六回解答第五回出題 第五回解答第四回出題第四回解答第三回出題第三回解答第二回出題 第二回解答 第一回出題第一回解答【解答】一振目:[正解]刀 銘(一葉葵紋)主水正正清 享保九年二月問題1は主水正正清の享保九年二月の刀でした。主水正正清は薩摩の人で、相州伝の名手です。時代は享保頃の人です。彼は、元々、無名の人でした。が、徳川吉宗の引き立てを得ました。どうしてでしょうか?それは吉宗の享保改革の一環によるものです。吉宗は士風刷新が必要だと思ったのです。そこで大名に命じて、領国内の刀鍛冶の名簿とその作を提出させました。そして厳正に審査して名工を発掘しようとしました。コンクールを行ったのですね。その時、傑作刀に選ばれた三人の内の一人が正清でした。それで一葉葵紋を賜り、京都で主水正を任官したのです。吉宗の胸を打った正清の作、どんなだったのでしょう。そう本作こそ、八代将軍を驚かし、また感動させた作に近いもので、実際、傑出した作品となっています。身幅は広く反りが高くついて均整がとれています。地鉄は小板目肌詰み、地景が盛んに入っています。鉄色は明るい。こういう精強で晴々した地肌はまさに相州伝。刃文は浅い湾れに互の目、尖りごころの刃を交えた乱刃です。激しく奔放な変化はこれもまさに相州伝。そして刃縁に盛んに金線・砂流しがかかっていますが、太く長く激しくかかっていますが、これこそまさに薩摩相州伝、正清の特色です。そうじて志津三郎兼氏みたいな作風で、一段と明るく冴えている・・・それが正清です。茎には家紋と任官銘を伴う銘字が刻されていますが、家紋は上様から拝領した一葉葵紋です。刀 銘(一葉葵紋)主水正正清 享保九年二月 二振目:[正解]平造脇差 銘 肥前國忠吉(初代)問題2は肥前國忠吉(初代)の平造脇差でした。まずは見事な彫刻に目が行きます。剣に巻き付いた龍図で、裏は蓮台に護摩箸です。大らかで堂々として、しかも何とも言えない品がある龍図。こういう彫は埋忠明壽流の彫です。そして、こういう彫は肥前の刀によくみられるものです。なぜでしょう?それは忠吉が埋忠明壽に弟子入りした時に彫師もいたからです。宗長という人です。本作の彫刻もまさに宗長彫です。じゃあ、これは肥前刀なのかな?地鉄を見てみましょう。肥前らしい特色があるのでしょうか。小板目肌で、地沸が厚く付いて弾力味がある肌合いですから、肥前独特の温潤味のある冴えた地肌ですね。でも、刃文は浅い湾れに互の目ですが、表裏が揃いごころとなっています。表裏が揃っている、姿はふくらが枯れごころで鋭い、となると、えー、村正みたいだけど・・・ですね。でも村正には、こういう濃密な彫はあまりないでしょう・・・。うーん・・・。肥前の忠吉は、鍋島の殿様に命じられて、いろいろ写しものを作ったのは有名ですね。そうこの脇差もまた初代忠吉の村正写しの作なのですよ。茎もよーく見ると、中程が僅かに張って先がくびれたような形になっています。なんとなくですがね。だからやはり村正を念頭に精鍛されたことがわかりますね。制作されたのはいつでしょうか?多分、慶長十八年頃だと考えられます。根拠はやや縦長の國の字の第二画がしゃくり上げたような形になる特徴からです。『肥前刀大鑑 忠吉篇』を参考にしました。平造脇差 銘 肥前國忠吉(初代) 以上です。いつもと同様、月刊『銀座情報』(令和6年6年号)掲載品からの出題です。今回も二振、出題してみました。如何でしょうか?『銀座情報』6月号のWEB公開は 5月23日を予定しております。
第八回問題第八回解答第七回問題第七回解答第六回問題 第六回解答第五回出題 第五回解答第四回出題第四回解答第三回出題第三回解答第二回出題 第二回解答 第一回出題第一回解答【解答】一振目:[正解]刀 銘(一葉葵紋)主水正正清 享保九年二月問題1は主水正正清の享保九年二月の刀でした。主水正正清は薩摩の人で、相州伝の名手です。時代は享保頃の人です。彼は、元々、無名の人でした。が、徳川吉宗の引き立てを得ました。どうしてでしょうか?それは吉宗の享保改革の一環によるものです。吉宗は士風刷新が必要だと思ったのです。そこで大名に命じて、領国内の刀鍛冶の名簿とその作を提出させました。そして厳正に審査して名工を発掘しようとしました。コンクールを行ったのですね。その時、傑作刀に選ばれた三人の内の一人が正清でした。それで一葉葵紋を賜り、京都で主水正を任官したのです。吉宗の胸を打った正清の作、どんなだったのでしょう。そう本作こそ、八代将軍を驚かし、また感動させた作に近いもので、実際、傑出した作品となっています。身幅は広く反りが高くついて均整がとれています。地鉄は小板目肌詰み、地景が盛んに入っています。鉄色は明るい。こういう精強で晴々した地肌はまさに相州伝。刃文は浅い湾れに互の目、尖りごころの刃を交えた乱刃です。激しく奔放な変化はこれもまさに相州伝。そして刃縁に盛んに金線・砂流しがかかっていますが、太く長く激しくかかっていますが、これこそまさに薩摩相州伝、正清の特色です。そうじて志津三郎兼氏みたいな作風で、一段と明るく冴えている・・・それが正清です。茎には家紋と任官銘を伴う銘字が刻されていますが、家紋は上様から拝領した一葉葵紋です。刀 銘(一葉葵紋)主水正正清 享保九年二月 二振目:[正解]平造脇差 銘 肥前國忠吉(初代)問題2は肥前國忠吉(初代)の平造脇差でした。まずは見事な彫刻に目が行きます。剣に巻き付いた龍図で、裏は蓮台に護摩箸です。大らかで堂々として、しかも何とも言えない品がある龍図。こういう彫は埋忠明壽流の彫です。そして、こういう彫は肥前の刀によくみられるものです。なぜでしょう?それは忠吉が埋忠明壽に弟子入りした時に彫師もいたからです。宗長という人です。本作の彫刻もまさに宗長彫です。じゃあ、これは肥前刀なのかな?地鉄を見てみましょう。肥前らしい特色があるのでしょうか。小板目肌で、地沸が厚く付いて弾力味がある肌合いですから、肥前独特の温潤味のある冴えた地肌ですね。でも、刃文は浅い湾れに互の目ですが、表裏が揃いごころとなっています。表裏が揃っている、姿はふくらが枯れごころで鋭い、となると、えー、村正みたいだけど・・・ですね。でも村正には、こういう濃密な彫はあまりないでしょう・・・。うーん・・・。肥前の忠吉は、鍋島の殿様に命じられて、いろいろ写しものを作ったのは有名ですね。そうこの脇差もまた初代忠吉の村正写しの作なのですよ。茎もよーく見ると、中程が僅かに張って先がくびれたような形になっています。なんとなくですがね。だからやはり村正を念頭に精鍛されたことがわかりますね。制作されたのはいつでしょうか?多分、慶長十八年頃だと考えられます。根拠はやや縦長の國の字の第二画がしゃくり上げたような形になる特徴からです。『肥前刀大鑑 忠吉篇』を参考にしました。平造脇差 銘 肥前國忠吉(初代) 以上です。いつもと同様、月刊『銀座情報』(令和6年6年号)掲載品からの出題です。今回も二振、出題してみました。如何でしょうか?『銀座情報』6月号のWEB公開は 5月23日を予定しております。
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