

新商品のご案内 太刀 銘 贈 日下開山栃ノ海 陸奥國住人國次作 昭和甲辰年初夏
栃ノ海の横綱昇進を祝う郷里津軽の支援者の依頼で、「日下開山(横綱)栃ノ海に贈る」と添銘された、弘前の刀工二唐國次の精鍛になる太刀。師二唐國俊刀匠も得意とした来國俊写しの一振で、身幅広く重ね厚く鎬筋凛として神社の鳥居を想わせる雄渾なる反り格好に加え、鎺元で強く踏ん張って中鋒に造り込まれた威風堂々の体配。


新商品のご案内 平造脇差 銘 出羽大掾藤原國路(業物)
堀川國廣古参の門人である出羽大掾國路(でわのだいじょうくにみち)は、初め國道と銘し、後に國路と改め、慶長十八年十月十日、三十八歳の時に出羽大掾を受領した(注)。かつて豊太閤の需にも応えた師國廣から優れた技術と胆力を受け継ぎ、相州正宗や貞宗、志津兼氏を範に名品の数々を手掛けて京の名匠と謳われている。


新商品のご案内 大小一腰 大刀 無銘 元長 脇差 銘 青木照之進平元長 文政十二年秋吉日
薩摩刀工大和守奥元平の異色の門人青木元長(もとなが)は彫物上手としても知られ、特徴のある真行草様々な龍神を刀身彫りした作品を遺している。摂津国に生まれ、尾張の六代目伯耆守信高に学んで後に尾崎助隆にも師事し、さらには薩摩伝をも摂取した探究心の強い人物であった。


新商品のご案内 名物庖丁正宗写短刀 銘 摸庖丁正宗 奥州住昭守 昭和甲子三月日
安國寺恵瓊(あんこくじえけい)(毛利家の臣)は、人を見、時流を読む達人で、所伝では信長の破滅を予言したともいう。しかし関ヶ原では武運無く敗れ、畿内の寺院に潜伏するも捕縛されている。恵瓊最後の恃みは素剣と梵字彫のある、頗る幅広の短刀。恵瓊を捕縛した奥平信昌が短刀を徳川家康に差し出すと、家康は正宗作と看破し、恩賞として奥平に下賜したのである。


新商品のご案内 刀 銘 蒙 南義良公命 羽陰住貞弘作之 文化三年八月日
秋田湯沢の刀工貞弘が、秋田藩重臣佐竹義良(さたけ よしざね)公の為に精鍛した刀。義良は佐竹本家を支えた御苗字衆の一つの南家の十二代目で、明和六年十月に家督を継ぎ、郷校建設、文武奨励等の領地経営に成功し、本家より感状を拝受している。藩主の信頼が厚く、天明元年六月には名代として十代将軍家治に秋田への帰還を報告している。貞弘は名を山田喜代助といい、湯沢に居住し、水心子正秀に学んで享和から文政にかけての作がある。


新商品のご案内 刀 銘 肥後同田貫延壽宗春作 元治元年八月吉日
元来二尺五寸を超える長さがあり、適度に反って中鋒の太刀姿で、茎にも太刀銘が切られた特別の注文作である同田貫宗春の刀。宗春は戦国刀最強とも云われ、猛将加藤清正に仕えた刀工が九州肥後同田貫の末裔で、兄に「肥後同田貫上野之介拾代嫡孫延壽太郎宗廣作」と銘した宗廣がいる。兄の向鎚を専ら務めていたためであろうか、寡作である。


新商品のご案内 刀 銘 備前國住長舩祐定 永正四年八月吉日(大業物)
片手で抜き打つに適した適度な寸法と身幅に仕上げた永正四年紀の祐定。戦国時代最大の勢力を誇った祐定家の台頭は、世に「永正祐定」と呼ばれて名高い彦兵衛尉祐定の技術力が根底にあった。次第に高まる需要に応えて高級武将の信頼厚く、斬れ味鋭く大業物に評価されている。


新商品のご案内 平造脇差 無銘 大宮盛景 切付銘 南無阿弥陀佛
爪付きの素剣、梵字、鍬形、蓮台、護摩箸の刀身彫に、「南無阿弥陀佛」の文字が茎に刻され、まさに南北朝期の勇者が守護刀とした大平造脇差。


新商品のご案内 脇差 銘 藤原綱行
光沢のある美しい茶漆塗鞘の脇差拵。柄前を装う縁頭は月下に干網と帰雁図を描いた詩情豊かな図柄で、しっとりとした朧銀磨地に竹、梅、一路平安図が地紙模様風に描かれた栗形と裏瓦も、もののあわれを感じさせる。


新商品のご案内 刀 銘 肥前國忠吉(八代)
肥前國忠吉(ひぜんのくにただよし)八代は佐賀藩士古川与兵衛道弘の次男で享和元年の生まれ。本名を舜一郎といい、母は六代忠吉の娘。病弱で子のなかった七代忠廣の養子となって家督を継いだ。















































