

新商品のご案内 刀 銘 近江守法城寺橘正弘
法城寺正弘一門は斬れ味に優れ、虎徹と共に江戸刀工の高い技量を世に知らしめた名流。但馬国より江戸に移住した初代、その技術を受け継いだ二代もまた、藤代版『日本刀工辞典 新刀篇』に「既斬一胴利甚因累三胴断之刃端入 富田彌一左衛門試之」と銘された刀があるように刃味が優れ、水戸家二代藩主光圀に抱えられている。


新商品のご案内 刀 銘 薩州波平安行 享和三年亥八月日
薩摩刀工波平安行は、初め安州、安氏と銘し、享和二年に波平第六十代目を継いで安行と改銘した。柾がかった板目鍛えの地鉄に直刃仕立ての重厚な刀を鍛え、一刀両断を目的とした薩摩隼人の需に応えている。


新商品のご案内 短刀 銘 石州濱田住藤原國義 下総守 慶安三年十二月吉日
石州浜田の住人國義は日向国飫肥の生まれにて、姓名を鈴木作之丞という。同郷の和泉守國貞を頼って大坂に上り、その門下となって修業し、寛永、正保年間には師の代作を任せられる程に腕を上げた隠れた名工である。


新商品のご案内 太刀 銘 金毘羅大権現 應玉木喜友之需嘉永五年壬子九月十日 野州住細川義規作
細川義規は細川民之助正平の子で名を剛之助といい、文化十一年の生まれ。大慶直胤と共に水心子正秀門の双璧を成した細川正義の甥。天保十七年に父に就いて修業を開始し、同八年宇都宮藩工となる。折しも尊攘派の志士の疾駆した幕末、義規も水戸藩の勤王派に共鳴し、「赤心報國」「尽忠報國」と切銘した作を打つ。遺作には鍛えの良い地鉄に備前伝丁子乱刃、端正な直刃を焼いた刀があり、森岡朝尊著『新刀銘集録』巻九でも「太刀姿反髙ク古備前之風有。地鉄ノキタイ細ニ丁子乱ヲ焼匂ヒ深ク上手ナリ」と高く評価されている。


新商品のご案内 平造脇差 銘 武州住康重
北条氏康より一字を授かって康重を名乗った山本氏康家は、戦国最盛期の弘治、永禄、元亀、天正にかけて代々が北条家の鍛冶として仕え、滝山城下から八王子城下の下原に移って以降は下原住とその居住地を切り添えている。


新商品のご案内 短刀 銘 忠次 昭和六十二年三月吉日
清水忠次(しみず ただつぐ)刀匠は大正十年、東京都葛飾の生まれ。作刀の開始は比較的遅く、三十代後半に初代吉原國家刀匠に入門し、自ら学んでいた居合術や抜刀術を通して作刀に活かした。その後の名刀展などでは多くの賞を受賞しており、全日本刀匠会の相談役を勤めるなど公の場でも活躍し、伊勢神宮への奉納刀の製作にも携わっている。


新商品のご案内 脇差 額銘 則重 金粉銘 盲鹿
則重(のりしげ)は鎌倉後期の越中国婦負(ねい)郡御服荘(富山市呉羽町)の刀工で、新藤五國光に学んだ相州伝の代表工。則重の個性は、明瞭に入った地景により、肌目が松の木肌を想わせる「松皮肌」と呼ばれる地鉄にある。鍛えに感応して金線や砂流しが現れ、刃縁に沸と匂が敷き詰められた焼刃も、他工に紛れぬ強い個性となっている。


新商品のご案内 短刀 銘 肥前國吉光 成午年五月吉日
福田吉光刀匠は明治四十五年佐賀県伊万里の産。昭和七年二十歳の時に福岡石堂の流れを汲む福岡県怡土の小山信光に入門し、戦時中は海軍受命刀匠として鎚を振るい、戦後は全日本刀匠会に属して鍛刀を続け、新作刀展では努力賞にも輝いている。


新商品のご案内 刀 銘 南都住金房兵衛尉政次
大和興福寺門前子安町に鍛冶場を設けた戦国時代の金房兵衛尉政次(かなぼうひょうえのじょうまさつぐ)は、正實、政定等の優工を擁した金房派の棟梁で、宝蔵院流槍術の達人胤栄の需で十字槍を打ち、筒井氏を長とする興福寺僧兵のために長刀や大身槍を鍛造した。特筆すべきは、腰元の樋中に剣巻龍の彫のある地刃抜群に冴えた、信長の臣池田恒興所持の刀(『銀座情報』二五六号)のような極めて出来の優れた作で、それら遺作から高い技術力が窺いとれる。


新商品のご案内 短刀 生ぶ茎無銘 直江志津
志津三郎兼氏は鎌倉末期から南北朝初期に美濃国多芸郡志津で鍛刀し、正宗に見紛うような沸出来乱刃の刀を手掛け、古来「正宗十哲」に数えられた名手。この志津三郎兼氏の薫陶を受け、またその作刀を援けたのが兼次や子と伝える兼友等で、後に養老郡直江に移住したことから「直江志津」と尊称されている。志津に近似した作は出来が優れ、古来、数寄者の間では賞翫篤いものがある。









































