私の正体は? ―鑑定刀 第七回【解答】
【解答】
一振目:[正解]刀 銘 備前國住長舩七郎衛門尉祐定作 天正九年辛巳二月上吉日

問題1は備前國住長舩七郎衛門尉祐定作 天正九年辛巳二月上吉日刀でした。
身幅広い。重ね厚く、頑丈な造り込み。鎬筋が立って刃の通り抜けの良さが感じられます。そして反りはなんとなく先反りが付いているように見えますね。
茎も左程長くはなく、片手で使えます。
となるとこの刀は姿格好から、そう、戦国時代の刀かも知れないとわかります。
地鉄はどうか。小板目肌が密に詰んでいて、潤い感がある・・・かなり上質の地鉄です。
そして映りが立っている・・・となると、これは備前刀かなー。
戦国時代の備前刀で、上手の刀工となると、祐定、清光、忠光、勝光、宗光・・・そんな名前が浮かびますね。
刃文は広直刃で、これに浅い湾れが配されています。匂口が締まっているとあります。小足と葉が顕著で、小足は小さくて細い感じです。こういうのは祐定、とりわけ、与三左衛門とか源兵衛尉とかではなく、天正頃の左衛門七郎とか七郎衛門とかにまま見る作風です。
帽子は突き上げて小丸ですが、とても焼が深いですね。これも実戦で使用して鋒が欠けてもすぐに直して使えますよ、という戦国気質です。
といういわけで(ってどういうわけだ?)本作は、祐定家の掉尾を飾る七郎衛門尉祐定の作です。
七郎衛門尉とまでいかなくても長舩祐定の俗名入りと答えられれば良いと思います。上吉日とか吉日は俗名入りに多いですよね。

刀 銘 備前國住長舩七郎衛門尉祐定作 天正九年辛巳二月上吉日
二振目:[正解]脇差 銘 大和守吉道(二代)

問題2は大和守吉道(二代)の脇差でした。
姿についての見どころは反りがとても浅いことです。まっすぐですね。
この姿は典型的な寛文新刀です。これで時代は江戸時代前期と絞れます。
地鉄はどうでしょうか。板目肌で、地景が太く入って、地沸が厚く付いています。
刃文は互の目に丁子を交え、刃縁は沸づいて明るいのですが、処々、荒めの沸が目立ちます。金線・砂流しも躍動的に入っています。
ここまでは国を見分けることが困難です。
そこで最大のヒントとなるのが帽子です。実に特徴的です。
とても形のいい帽子ですが、刃文は互の目が連なっていたのに、横手下か一寸程から直刃となり、横手を超えていきます。そして先が突き上げた風になって小丸に返ってます。こういうのを三品帽子といいます。
となると、この作は江戸時代前期の三品家、伊賀守金道の一門の刀工の作だと推考されます。
刃文は互の目が目立ちますが、伊賀守金道程、沸づいて暴れている風はない。
また簾刃みたいにはなっていないので丹波守吉道ではない。
誰だろうなあ・・・難しいですね。菊紋はないから、来金道や越中守正俊ではない。また近江守久道でもない。
となると・・・ひょっとして大和守吉道かな?
え、そんな人いたのー、っていう人もいるでしょうねえ。
そしてこの作の銘字は太鑚で堂々と刻されている。
となるとやや細く小さく刻する初代に対し、堂々と太く刻する二代だ、ということになります。
大和守吉道の二代は大坂新刀の刀工で、上呉服町一丁目(錦町)の住人です。
姫路藩主の本多氏に仕えたので、姫路大和の称があります。

脇差 銘 大和守吉道(二代)
以上です。
いつもと同様、月刊『銀座情報』(令和6年5年号)掲載品からの出題です。
今回は二振、出題してみました。
如何でしょうか?

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