

新商品のご案内 朱石目地塗鞘半太刀拵
朱漆塗りの柄に茶色味を帯びた石目地塗鞘とされた、肥後様式の造り込みになる打刀拵。緒通しの金具を備えており、刀として腰に帯びても、太刀として腰に吊るしても良い様式。金具は総て肥後の鉄地金布目象嵌になる造り込みで、独特の風情が窺える。


新商品のご案内 小烏丸造脇差 銘 大泉住一秀作 文化三年十月日
水心子正秀の高弟池田一秀の、文化二年に酒井家に抱えられた直後の充実期の作。一秀は清内と称し出羽国庄内湯沢の生まれ。号は竜軒、運壽齋。
この脇差は、復古思想を受けた特別の注文によるものであろうか、身幅広めに反りを控え、鋒を両刃に仕立て、棟を長く削ぎ落して腰元に樋を掻いた、古典的な姿格好に特徴のある小烏丸造。


新商品のご案内 脇差 銘 肥前國住藤原忠廣寛永八年八月日(最上大業物)
初代忠(ただ)廣(ひろ)は初め肥前國忠吉と銘し、元和十年に武蔵大掾を受領して忠廣と改名した江戸初期を代表する名工。稀に見る武蔵大掾を冠しない作は、肥前刀を幕府や諸大名への贈答品とした佐賀藩主鍋島勝茂が相手方に遠慮し、「肥前國住藤原忠廣と計り打ち申すべき事」と指示したもの。


新商品のご案内 脇差 銘 越州住下坂當國
下坂當國(しもさか まさくに)は江戸前期の越前福井の刀工で、本国は越前康継と同じく近江国。銘鑑では元禄頃とされる當國だが、佐藤寒山博士は『康継大鑑』で、実見する限りでは寛文以前とみられ、寡作ながらも「この時代の下坂鍛冶としては上手である」と評している。


新商品のご案内 平造脇差 銘 出羽大掾藤原國路(業物)
堀川國廣古参の門人である出羽大掾國路(でわのだいじょうくにみち)は、初め國道と銘し、後に國路と改め、慶長十八年十月十日、三十八歳の時に出羽大掾を受領した(注)。かつて豊太閤の需にも応えた師國廣から優れた技術と胆力を受け継ぎ、相州正宗や貞宗、志津兼氏を範に名品の数々を手掛けて京の名匠と謳われている。


新商品のご案内 名物庖丁正宗写短刀 銘 摸庖丁正宗 奥州住昭守 昭和甲子三月日
安國寺恵瓊(あんこくじえけい)(毛利家の臣)は、人を見、時流を読む達人で、所伝では信長の破滅を予言したともいう。しかし関ヶ原では武運無く敗れ、畿内の寺院に潜伏するも捕縛されている。恵瓊最後の恃みは素剣と梵字彫のある、頗る幅広の短刀。恵瓊を捕縛した奥平信昌が短刀を徳川家康に差し出すと、家康は正宗作と看破し、恩賞として奥平に下賜したのである。


新商品のご案内 刀 銘 蒙 南義良公命 羽陰住貞弘作之 文化三年八月日
秋田湯沢の刀工貞弘が、秋田藩重臣佐竹義良(さたけ よしざね)公の為に精鍛した刀。義良は佐竹本家を支えた御苗字衆の一つの南家の十二代目で、明和六年十月に家督を継ぎ、郷校建設、文武奨励等の領地経営に成功し、本家より感状を拝受している。藩主の信頼が厚く、天明元年六月には名代として十代将軍家治に秋田への帰還を報告している。貞弘は名を山田喜代助といい、湯沢に居住し、水心子正秀に学んで享和から文政にかけての作がある。


新商品のご案内 刀 銘 肥後同田貫延壽宗春作 元治元年八月吉日
元来二尺五寸を超える長さがあり、適度に反って中鋒の太刀姿で、茎にも太刀銘が切られた特別の注文作である同田貫宗春の刀。宗春は戦国刀最強とも云われ、猛将加藤清正に仕えた刀工が九州肥後同田貫の末裔で、兄に「肥後同田貫上野之介拾代嫡孫延壽太郎宗廣作」と銘した宗廣がいる。兄の向鎚を専ら務めていたためであろうか、寡作である。


新商品のご案内 刀 銘 備前國住長舩祐定 永正四年八月吉日(大業物)
片手で抜き打つに適した適度な寸法と身幅に仕上げた永正四年紀の祐定。戦国時代最大の勢力を誇った祐定家の台頭は、世に「永正祐定」と呼ばれて名高い彦兵衛尉祐定の技術力が根底にあった。次第に高まる需要に応えて高級武将の信頼厚く、斬れ味鋭く大業物に評価されている。


新商品のご案内 平造脇差 無銘 大宮盛景 切付銘 南無阿弥陀佛
爪付きの素剣、梵字、鍬形、蓮台、護摩箸の刀身彫に、「南無阿弥陀佛」の文字が茎に刻され、まさに南北朝期の勇者が守護刀とした大平造脇差。















































