新商品のご案内 短刀 銘 固山宗次 明治二年秋
- 銀座長州屋WEB編集部
- 7月19日
- 読了時間: 3分
短刀 銘 固山宗次 明治二年秋
Tanto: Signed. Koyama MUNETSUGU / Meiji 2 nen aki
固山宗次は天保初年頃に江戸の名手長運斎綱俊に入門して作刀を学び、備前伝丁子乱刃を会得した。試刀家の伊賀乗重や山田浅右衛門に就いて切れ味を探求し、美しく、しかも刃味の優れた刀を完成させている。宇和島藩伊達侯や古河藩土井侯等上級武士の需に応え、また明治五年にはウィーン万博出品刀剣の製作を拝命するなど、日本を代表する刀工として高い名声を誇った。
公開中
#84
豊臣秀吉 文禄・慶長の役
激闘 兜割
生死を分けた1センチ
馬上二万騎の大将の命運
銀座長州屋YouTubeチャンネルにて公開中。
文禄二年・慶長二年の二度に亘った太閤豊臣秀吉による朝鮮出兵。
明の征服という途轍もない秀吉の野心は、その足掛かりとされた朝鮮半島を凄惨な戦闘で染めていった。
栄誉か、さもなくば死か―
派兵された日本軍の一人、弱冠二十二歳の若武者大河内秀元は、朝鮮の地で己の立身を賭け、
戦の最前線に立つ。
そして、運命の慶長二年八月十五日―
南原城で秀元の運命の歯車が大きな音を立てて回り出す。
向かうは敵の大将。
身の丈七尺の偉丈夫が振り下ろす三尺の刀の、雷のような一撃が秀元の兜に打ち下ろされた。
時代は流れる。
南原城の死闘から実に六十五年の後、泰平の江戸の世に、戦記『朝鮮物語』として、大河内秀元の若かりし日の死闘が克明に蘇る。
そしてそこから更に400年―
令和の今に残された大河内の兜。そこに刻まれた斬跡が物語る、僅か1センチの生死を分けた攻防の記憶。
展開必見!【生死を分けた1センチ 豊臣秀吉の朝鮮征伐 文禄・慶長の役で切り裂かれた兜】 前後編の後編です。
お見逃しなく。

Youtubeにて前編 公開しております。
銀座長州屋YouTubeチャンネルにて公開中。
月刊『銀座情報』2025年8月号(466号)
7/16発売
Web公開は7/23スタート予定です
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(刀)
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