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動画のご案内 両鎬袋槍 銘 川井久幸作 文久三年二月日 宗寛鍛之



前編


後編


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両鎬袋槍 銘 川井久幸作 文久三年二月日 宗寛鍛之

 金叩塗沢瀉形鞘槍拵入

Ryo shinogi fukuro yari:

Sig. Kawai HISAYUKI saku

Bunkyu 3 nen 2 gatsujitsu SOKAN kore wo kitaeru

Kin tataki nuri Omodaka gata saya, yari koshirae



動画の作成に合わせて、川井久幸の旧宅跡を訪問したリポートも記してみました。

併せて読んでいただければ幸いです。


「川井久幸の面影を訪ねて」


先日サイトにてご紹介しました、両鎬袋槍 銘 川井久幸作 文久三年二月日宗寛鍛之。

銘からもお分かり頂けるように、この槍は江戸後期の刀工、川井久幸と泰龍斎宗寛、二人の工による合作の槍です。


動画をご覧いただいた方はご存じと思いますが、幕臣だった久幸は、江戸城から北西へおおよそ6キロの小日向竹島町(東京都文京区水道二丁目5)に住していた記録が残されております。

(ちなみに本作のもう一人の作者、古河藩工だった泰龍斎宗寛は、古河藩邸のあった日本橋箱崎(現箱崎ジャンクション付近)で作刀をしていたと思われます。)



令和四年の現在からさかのぼること159年。

今風にいうと、「聖地巡礼」と言ったところでしょうか?

川井久幸の生きた時を妄想…もとい、想いを巡らせつつ、現地を巡ってみました。





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探訪スタート。

川井久幸の旧宅地の小日向水道の最寄り駅は、東京メトロ有楽町線「江戸川橋駅」。(出口は4番)


















メトロの出口を出ると目の前に目白通りその上を走る高架(首都高速5号)、そしてそのすぐ奥に神田川が流れています。



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目白通りと首都高5号



メトロ出口を出て目の前の目白通りを渡ると神田川が流れており、川には区画毎に橋が架けられている。

新しいビルやマンションに混じって、この界隈にはまだまだ前時代の趣を残した家屋が見られる。







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石切橋。

橋を渡った先が川井久幸旧宅区画になる。

















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石切橋の由来。

小石川の同心町通りは、江戸時代の「小石川伝通院前同心町」にちなむ。

同心は与力に属した下級武士をいう。











そして、旧小日向竹島町の川井久幸旧宅区画(現文京区水道二丁目5)へ。

実際その地に立ってみて、その日の風や空気を感じてみると、

160年ほど前、実際にこの地で刀を打ち生活をしていた川井久幸という人間が存在したんだという事実に、俄然リアリティがわいてきます。



現文京区水道二丁目5番地区域。



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はい!ここで画像を左へ寄せて寄せて・・・・


ハイ!ドーン!!


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うなぎ はし本



うなぎのはし本さんです。

実は川井久幸宗寛の動画を作っていた時に、動画に挿入する地図を見ていて、ふと気づいたのです。

「あれ?ここ昔たまに行っていたはし本さんとめっちゃ近くない?」と・・・。



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創業天保六年

天保六年は西暦で言うと1835年になります。久幸御年50歳です。



ここで動画で使用した切り絵地図を。。


ハイ、ドーーン!




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緑でマークしたところが川井久幸の邸宅。

そして赤で囲った辺りがうなぎのはし本さんでしょうか。

ふむふむ。大体位置関係がわかってきました。


とすると、現在はし本さんがある場所は、江戸時代には鴻野さん、あるいは朝比奈さん宅に掛かる位置であるということですね。


ん?とすると・・・・。天保六年創業時は別の場所だったのかな???

尤も…現在に至るまで東京は人の流出入が大きく変化する出来事が多々あったので(動画中にも少し出てきました安政の大地震、明治維新、そして何といっても関東大震災と太平洋戦争)、もしかしたらそうだったのかもしれません。

結局その辺の事情は分かりませんでした。


ただ…。ただ ですね、聞くところによるとこの辺の界隈は江戸時代の鰻の養殖地だったようで、鰻屋さんがかつては多くあったそうです。なのではし本さんも、ここからそう離れた所ではない場所で営んでいたのは確かなんじゃないかなと思います。

精魂込めて刀を打っていた川井久幸が、辺りから漂ってくる鰻の香りに誘われて生唾をごくり…ということもあったのではないでしょうか。

刀鍛冶は体力のいる仕事ですのですので、たまには鰻で精をつけていたのかもしれません。


「へいらっしゃい!旦那、今日も威勢のいい槌の音させてましたなぁ」

「やあ大将。今とある刀鍛冶と合作に取り組んでてね。齢はわけぇが中々の腕前だ。侮られまいとついつい熱が入ってな」

「そりゃあ、負けちゃいられませんで。鰻食って精つけにゃ」

「そうだな。…いつものと酒を」

「へい!」

(妄想再現)



…現実(令和四年8月某日)に戻ります。

せっかくここまで来たのですから!暖簾をくぐらず帰るという選択肢はありません。


「ごめんくださ~い」



さすが都内屈指の人気店(大河ドラマの主役も務めた某人気俳優さんがテレビで紹介していたこともありました)。平日昼わりと早めだったにも拘わらず席待ちの人が三組前に待機していました。


待つこと…20分ぐらい でしょうか。やっと順番が巡ってきました。


まずは・・・



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クゥ~~~~~~~~~~!

当日昼快晴。気温35℃超。

喉を滑り落ちていくエビスビールの心地よさと言ったら。。。

五臓六腑に染みるたぁ、まさにこのことでぇ!(似非江戸っ子)

お通しは葉唐辛子です。私の心の中の「いいね!」ボタン100連打です。


…あ、この日は夏休み中で決して勤務中の昼酒ではないということを申し添えておきます。



冷たいビールでいい感じに喉を潤していると・・・

来ました来ました。




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うな重と肝吸い。肝吸いはうな重と別料金になります。




「いただきまー――す」


うなぎ、ごはん、肝吸い、付け合わせのお漬物、そして残りのビール と規則正しく胃袋に収まっていきます。

もう、私の凡百なグルメレポートは余計!不要!!といってもよいでしょう。

ふわっと身の柔らかい鰻とふっくら炊き上がったご飯。しっかりと鰻の美味しさはありながらも、最近暑さ(と加齢)でややバテ気味の胃にも負担に感じることなくするっと収まってしまいました。

味変で鰻の合間にご飯と頂く奈良漬けの優しい甘みもクセになります。


ああ、至福のひと時。



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大変美味しゅうございました。



今回のランチはうな重(上)、肝吸い、そしてエビスビール小瓶で〆て5000円でした。


いかがでしょうか?

美味しい鰻と共に幕臣にして刀工、川井久幸に想いを馳せながらしばしのタイムスリップというのは。。。

鰻も大変美味ですし、お薦め致します。



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うなぎ はし本


東京都文京区水道2-5-7

東京メトロ「江戸川橋駅」4番出口より徒歩3分。

予約可。

11:30~14:00

16:30~20:00(最終の注文は19:30)

日曜営業。木曜定休。



今度来た時に、お店の人にいつ頃からこの場所で営業しているのか、聞いてみるのもいいかもですね。

詳しいことが分かって、妄想によりリアリティが増すかもしれません。




さて、お腹も満たされたところで、腹ごなしにこの区画をぶらぶら一巡りしてみましょう。


残念ながら川井久幸の旧宅のあった場所は、現在一般民家になっておりますので、写真を撮ることが出来ませんでした。

すぐ裏手に立派な蔵のある質屋さんが。

(こちらも写真の掲載は控えさせていただきます)


筆者の子供の頃は祖父母の住んでいた中野区にも古い質屋さんがありました。板塀に囲まれて質屋の看板と暖簾が出ており、独特の佇まいに子供心に趣のようなものを感じておりました。ここ二十数年でだいぶ数が減ってきたように思います。



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この区画のすぐ目の前が神田川です。

かつて川井久幸の生きた時代は、江戸川と呼ばれておりました。

だから最寄り駅が「江戸川橋」なのですね。















ぐるりと巡って、もう一度振り返る。



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新しいビルと並んで建っているはし本さんの佇まいがよいですね。

今回は寄りませんでしたが、お隣のお蕎麦屋さん(浅野屋)も老舗のようです。




石切橋から神田川(江戸川)の川面を見下ろす。

在りし日の川井久幸も鍛刀の合間にたびたびそうしていたのでしょう。


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小石川牛込界隈といえば明治の文豪(夏目漱石、樋口一葉、森鴎外他)そして護国寺や伝通院、鳩山会館、後楽園、小石川植物園、東京大学(旧帝大)、粋な歓楽街神楽坂…あたりがメジャーなスポットでしょうか。

今回の江戸川橋駅周辺関口付近はややマイナー…と言ってもよいかもしれません。

でも神田川沿いのこの街並みにも、まだ古き良き時代の面影をそこかしこに見つけることが出来ました。

何かの折に、ふらりと美味しい鰻に舌鼓を打ちつつ、古き日の江戸~帝都東京を回顧するのも良いかもしれません。







・・追記・・




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この小柄笄の作者、松村勝成(短刀 銘 備州之住長舩左衛門七郎春光の拵に装着されている)も水道にほど近い小石川に住していたようです。


鎧通し短刀 銘 備州之住長舩左衛門七郎春光作 文禄三年八月日

https://ginza.choshuya.co.jp/sale/sword/22/07/harumitsu.htm

(銀座長州屋ホームページ掲載品)

 


【番外編】


ついでにもう少し足を延ばして、もう一人の作者である泰龍斎宗寛の面影を求めて、日本橋までやってきました。。


東京メトロの駅だと、東西線水天宮駅もしくは日比谷線茅場町駅あたりでしょうか。

今回は茅場町駅を利用してみましたが、水天宮駅の方が最寄りだと思います。

茅場町駅構内はラビリンス。。。。



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水天宮(東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1)

久留米藩二代目藩主有馬忠頼公によって筑後川を臨む土地に創設された水天宮神社は、

文政元年(1818)に九代藩主忠徳公によって江戸芝へ御分霊を勧業。

その後明治五年に現日本橋蛎殻町へ移設されている。









ナビを頼りに水天宮を右折して歩いていくと。。。。



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おお!

縦横上下に伸びる高速道路が威容を誇る箱崎ジャンクション。

このあたりに古河藩邸があったそうです。

残念ながら往時を偲ばせる碑などは見つけることができませんでしたし、正直まだ幾分か古き良き趣を残していた石切橋付近川井久幸旧宅周辺ほどに感慨は湧きませんでした。

残念。

ただ、ふと想像してみました。

「今のこの景観を、当時の藩主であった土井利位公が見たら、どう思うかな」と。

動画でも解説しておりますように、顕微鏡で雪の結晶を研究した、洋学大好きの大層「ハイカラ」なお殿様だったようです。

流通の要であるこの巨大なジャンクションの佇まいを目にしたら、果たして平静でいられたでしょうか???

洋学好きであると同時に大塩平八郎の乱の鎮圧にあたる程の優秀な軍事力をも有していた古河藩。この交通システムには(言うまでもなく兵站は戦の要)、いたく興味関心を惹かれたのではないでしょうか??




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橋から眺める隅田川。

神田川(江戸川)よりもさすがに広大です。

でも水の流れを見ていると心が安らぐのは神田川も隅田川も共通しています。













・・おまけ・・


今回の探訪の終点は。。。。



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お肉とモツとイタリアワインのご機嫌なお店です。


量たっぷりのチーズ盛り合わせと美味しいモツを当てにして、ワインぐいぐいいけちゃいます。


(中央区日本橋茅場町3-4-8)

[月~金] 11:30~14:00(L.O13:30) 17:30~22:30(L.O21:30)

定休日

土曜日(当面の間)、日曜日、祝日(お盆の平日は営業)


ちなみにオステリア・ウネットさんは、銀座長州屋から徒歩でも行くことが出来ます。

(徒歩大体…2~30分ぐらいでしょうか)

長州屋にご来店下さった折に、少し日本橋方面まで足を延ばして美味しいイタリアンとワインを堪能するのもお薦めです。




TOPIX






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月刊『銀座情報』9月号

Wb版8/25公開スタート



















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・ご送付先住所(電話番号)

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(刀)

 
 
 

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