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新商品のご案内 脇差 額銘 則重 金粉銘 盲鹿

  • 4 日前
  • 読了時間: 3分



脇差 額銘 則重 金粉銘 盲鹿


Wakizashi:

Signed .(gaku-mei) NORISHIGE

(kin-pun mei) Mekura-jika


盲鹿の金粉銘


則重(のりしげ)は鎌倉後期の越中国婦負(ねい)郡御服荘(富山市呉羽町)の刀工で、新藤五國光に学んだ相州伝の代表工。



則重の個性は、明瞭に入った地景により、肌目が松の木肌を想わせる「松皮肌」と呼ばれる地鉄にある。鍛えに感応して金線や砂流しが現れ、刃縁に沸と匂が敷き詰められた焼刃も、他工に紛れぬ強い個性となっている。



鞘には「紫川」の金印銘、小柄櫃には金と朱の漆で「昭和四十九年初秋紫川(花押)」と認められている。大正から昭和にかけて活躍した鞘塗の大家、佐藤紫川(さとう しせん)の仕事の全貌が示されている。


【Youtube 銀座長州屋チャンネルの動画】



3/28公開



#95  最後の仇討ち(6)


短刀 銘 和泉守兼定(伝一ノ瀬切)



明治13年12月17日

臼井六郎、父亘理の仇敵一瀬直久を討つ

ここに仇討ちが成就する―。



19の歳に仇敵一瀬直久を追って上京し、苦節四年。

23歳となった六郎は、同郷人手塚祐より一瀬が栄転して甲府より東京へ戻ってきている事を知らされる。


はるばる甲府まで一瀬を追って幾度となく仇討ちの機会をうかがうも果たせず、今回こそ最後の機会と覚悟を新たに、一瀬が判事として勤める東京上等裁判所を朝に夕に見張り続ける日々。そして、とうとう《その日》が訪れた!


明治十三年12月17日

朝の見張りを終えた六郎は、ふと思い立ち、銀座三十間堀にある旧秋月藩主の黒田邸へと向かう。そこは旧秋月藩士たちが集い故郷を懐かしみ、同郷人同士の親交を温める場所になっているという。そして、その屋敷では六郎の親戚の鵜沼不見人が家令を勤めていた―。


急激に回り始めた運命の歯車。六郎の宿願が遂に成就される時が迫る。


《六郎のいちばん長い日 運命の明治13年12月17日》

どうぞお見逃しなく。


~~臼井六郎略歴~~


安政五(1858)

 秋月藩中老臼井亘理の長男として誕生

  慶應四(1868)1月鳥羽・伏見の戦い


慶応四(1868)5月23日※旧暦

 父亘理とその妻清、秋月藩の保守派である干城隊士によって暗殺される。

  慶應四(1868)9月8日※旧暦 明治に改元


明治六(1873)

「仇討ち禁止令」が出される。これにより私的な報復は認められなくなり犯罪となる。


明治九(1876)六郎上京(19歳)

  同年10月 秋月の乱。12月 中心人物の今村百八郎ら斬首される。


この頃六郎山岡鉄舟に入門する。


明治十一(1878)

 甲府支庁勤務の仇敵一瀬直久を追って甲府へ。その後何度か一瀬を狙って東京と甲府を

 往復するもいずれも不首尾に終わる。


明治十三(1880)

 同郷の手塚祐により一瀬が栄転して東京上等裁判所に勤務していることを知らされる。


同年12月17日

 思い立って黒田邸を訪問。そこに現れた一瀬直久を短刀にて刺殺。仇討を成就させる。

 その後外幸橋警察署に出頭。管轄外だったため改めて築地警察署に自首。

※年齢は数え年



月刊『銀座情報』2026年4月号(474号)

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