文様散鍔(鐔) 無銘 平安城象嵌
Heianjo zogan
そもそも犬が画題として取り上げられることが珍しい。しかも時代の上がる鐔に、である。画題としての犬は、じゃれあう仔犬や、座頭に絡む野犬、野晒とともに描かれる餓狼などが典型。本作のような猟犬が描かれるのは極めて珍しい。蓑笠を付けた人物の後を追う犬の全身から嬉しい楽しい気持ちが伝わってくる。絵風鐔への過渡期と考えられる作。引き締まった小振りの鉄地全体に展開する真鍮地高彫象嵌は、それぞれ関連性があるのか無いのか不思議な取り合わせである。しかも木賊を刈る人よりも巨大な海老やカマキリ、野菊など、何を基準としてそうなったのか、できることなら作者に聞いてみたい。現代の感覚では捉えきれない面白さが凝縮されている。実用の点からの不思議は小柄櫃に設けられた鉄地の当て金である。小柄のためなら柔らかい銅を用いた方が良いのではないか。全体の色合いを変えたくないという美観を追求してのことだったのだろうか。謎多き鐔の最大の謎を最後に。裏面の茎櫃周辺の一部に魚子が撒かれているのだ。赤銅魚子地の古金工や古美濃の鐔の切羽台には、試し打ちであろうか、稀に数条の魚子が撒かれていることがあるが、鉄地の切羽台に魚子が撒かれているのを初めて見た。滑り止め?どなたかご存知ならご教示願いたい。
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160,000
鶺鴒図鍔(鐔) 無銘 知識
Chishiki
引き締まった縦に長い丸形は知識派の一特徴を示す。青味を帯びた上質の赤銅地には、川霧であろうか、微細な石目が耳にまで施されている。水辺の境界を垂直に掘り下げ、片切彫のように地を斜めに削いだ輪郭線によって柔らかな風合いを見せる砂浜。鐔の表裏に一羽ずつ描かれた鶺鴒は、立体的に彫り出された高彫の周囲を浅く鋤き込み、その姿を更に強調している。剣尖の動きにたとえられる鶺鴒の尾の動き。他流派のことで示現流とはあまり関連が無いので、ここではしっとりした水辺の情景を描いているのであろう。鶺鴒は尾を上下に振りながら滑るように移動するさまが愛らしく、鳴き声も美しい。松葉の毛彫は絵筆で描いたかのように軽快。赤銅一色に彫刻の深浅強弱のみで表現された世界から、奥行きのある豊かな色彩が感じられる。知識派の金工は、後藤宗家で彫金の技術を学んだ者も多い。中でも兼置は最も技量高く、構図や構成においても優れた感性を発揮した名工である。
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160,000
三聖吸酸図鍔(鐔) 銘 直丈
Naotake
過剰と思えるほどの装飾だ。点景、背景、装束の文様が色味を変えた金象嵌で隙間を埋め尽くすようにちりばめられている。この作品の主題を装飾に埋もれさせて隠したがっているのではないかと思うほどだ。
大振りの鉄地竪丸形の中央に薄肉彫りで酢の入った大甕を据え、それを囲むように釈迦(仏教)、孔子(儒教)、老子(道教)の三聖人が立っている。何やら楽しそうで、特に中央の釈迦は歯を見せて大笑いしている。「三聖吸酸(さんせいきゅうさん)」または「酢吸三教(すきゅうさんきょう)」と称されるこの図は、誰が舐めても酢は酸っぱいように、教義や宗教が違っても真理は一つであるということをわかりやすく表している。室町時代に中国から伝えられたこの図は禅画 で好まれ、後に寺社建築の彫刻にも採られている。裏側は鋤き出された岩の間を清冽な水流が迸る。清らかな水の流れを遠近、高低で奥行きを出した金象嵌の草木が鮮やかに彩っている。
武陽住と銘する直丈は、作品の類例は少ないが、本作の見事な象嵌技術や表情豊かな人物描写を見れば優れた金工であったことがよくわかる。
特別保存
280,000
雪輪に雪花文鍔(鐔) 銘 壽光(花押)
Toshimitsu
極々浅い打ち返し耳によって強調された、溶けかかった雪玉のような変り形。氷柱で覆われ、降り積もった雪の表面には薄肉彫りと高彫象嵌で美しい雪の結晶が描かれている。小柄櫃を縁取るのは雪輪文。江戸時代後期、古賀藩主土井利位(としつら)が雪の結晶を観察し、『雪花図説』にまとめ出版したところ、雪花文様(雪の結晶の文様)が大流行した。装剣小道具も大いにその影響を受け、一乗派や東龍斎派に雪花文を主題とした美しい作品があるが、本作からは凍てついた空気まで伝わってくる。渡辺壽光は東龍斎清壽の門人。風景から人物図まで師風をよく受け継いだ優れた作品を残した。
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虎渓三笑図鍔(鐔) 銘 九州肥後国遠山作
Toyama
橋のたもとで三人の人物が大笑いしている。虎渓は中国江西省の景勝地廬山の渓流。三人の人物は、中央が慧遠法師、向かって右側が陶淵明、もう一人が陸修静である。この地に隠棲し た慧遠法師は、来客が帰るときは貴賤の別なく見送りをしたが、決して虎渓に架かる橋を渡ることはしなかった。ある日、訪ねてきた陶淵明と陸修静とともに時を忘れて清談に興じ、二人を見送る際もつい話に熱中し、気付いた時には橋を渡ってしまっていて三人で大笑いした、という故事。物事に熱中するあまりほかの全てのことを忘れてしまう事のたとえである。引き締まった竪丸形は鍛え良く、手強い印象。遠山派は小透や布目象嵌を施した大胆で簡潔な意匠が多いのだが、高彫でこれほど詳細な描写の絵風鐔は極めて珍しい。重厚でありながらどこまでも明朗な雰囲気を纏っている。据紋式高彫象嵌で特色ある動植物や人物図を彫った遠山頼次の作であろう。
特別保存
400,000
琴高仙人図鍔(鐔) 銘 正壽軒知久
Tomohisa
琴の名人琴高仙人は古代中国の仙人。ある日、弟子に龍の子を捕まえると約束する。約束の日、琴高は鯉の背に乗って水中から現れたという。滝を昇りきれば龍になるといわれている鯉は龍の子と言えなくもない。表側には激流に逆らい川を泳ぐ鯉とその背にまたがり巻物を広げる琴高仙人。見上げた視線の先は裏側に彫り描かれた滝である。琴高仙人が手にしている巻物には龍門の場所が記されていて、「さあ、お前はこれからあの滝を昇りきって龍になるのだ。」とでも言っているようだ。鯉の目線がやや後ろを向いていて、困惑顔に見えるのも面白い。
柔らかな衣の質感、その中に確かに肉体が存在すると感じさせる肉置き。髪や髭、表情や指先まで丁寧で詳細な描写が見事である。赤銅高彫の鯉は、なだらかに抑揚をつけた肉付けに写実的な鱗や鰭、顔周りには有るか無きかの毛彫りを添えて生き生きと描かれている。正壽軒知久は、水戸藩抱え工の玉川吉長の門人。
特別保存
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鶯宿梅図鍔(鐔) 無銘 林
Hayashi
太い枝へと繋がるこの不定形な変り形を考案したのは一体誰だったのか。目の前にある現実の 風景というよりも遠い記憶の中の情景のようである。「勅なればいともかしこき鶯の宿はと問えばいかが答えむ」紀貫之の娘が詠んだという歌が由来と伝えられる「鶯宿梅図」は春を象徴する縁起の良い取り合わせでもある。耳に向かってやや肉を落とした靭性を感じさせる地鉄は、鉄砲鍛冶出身の林又七を祖とする肥後林派の美点の一つである強靭な鉄質を体現している。丸みを帯びた緩やかな曲線の耳とは対照的に梅の枝はごつごつと屈曲し、小さな丸い蕾がついた枝先は鋭く耳に刺さる。丁寧な毛彫が施された可憐な梅と小さな愛らしい鶯。馥郁たる香りと澄んだ鳴き声が呼び覚まされる。
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250,000
正月飾図鐔 銘 如柳(花押)
Jyochiku school
如(じょ)柳(りゅう)は村上如竹の門人で、師の技術を受け継いで精巧な作品を遺している。正月飾を彫り描いたこの鐔が良い例で、漆黒の赤銅地を磨地に仕上げ、海老の地色を想定して量感のある高彫に素銅色絵とし、目玉は赤銅、手足の所々に金の色絵を微かに加え、全体に毛彫と三角鏨を打ち込んで甲羅の表情や手足触覚の動きを表現している。
注連縄、若松、裏面の竹と万両は、暖か味のある金、銀を含ませた色合いの異なる金、素銅、赤味の強い緋色(ひいろ)銅(どう)による平象嵌を駆使して繊細。勝栗と榧(かや)は高彫に金色絵。いずれも緻密な描写である。
特別保存
450,000
渾天儀・輪宝図鐔 銘 城州西陣住埋忠橘重義
Shigeyoshi
天体観測の道具である渾天儀は一度見たら忘れない印象深い形をしている。記憶に残るから沢山あるもののように思えるが、刀装具の画題としては珍しいものだ。お隣の中国では古来より天体の位置観測に使用され、日本へもたびたび入ってきたというが、それらが実際に観測に使用されたかどうかは定かではない。京の埋忠重義はどこで渾天儀を知ったのだろうか。文献で絵図を見て知ったのか、それとも実物を見たのだろうか。
錆色深く、鍛えの良い鉄地は撫角形。表裏に鋤出彫で描かれたのは渾天儀と輪宝。地底にうっすらと残った鏨の跡が、流れるような肌目と相俟って淡い陰影となる。輪宝の剣先形の文様が渾天儀の環にも連続して刻され、モチーフの反復が見られる 。軟体動物を彷彿させる架台の表現も面白い。
特別保存
330,000
月下繋馬図鍔(鐔) 無銘 柳川派
Yanagawa school
銀色に輝くのは十八夜か、それとも十九夜の月であろうか。薄野原を照らす冴え冴えとした月明かりの下、馬が一頭草を食んでいる。裸馬ではあるが、放れ馬ではない。馬を繋ぐ綱は鐔の耳から裏側へまわり、朽ち木に括り付けられている。旅の途中であろうか、何か物語を感じさせる情景である。小肉のついた耳にまで撒かれた微細な魚子は整然として美しい。量感のある高彫の馬は、大きな目が印象的。柳川派の特徴を示す豊かな鬣と引き締まった力強い体躯をしている。柳川派の祖である直政は、横谷宗珉の直門。横谷式の赤銅魚子地高彫を得意とした。続く直光、直春、直連ら本家の頭領をはじめ門人達も代々その技を受け継いで栄えた。
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220,000
唐松繋図鍔(鐔) 銘 武州住吉正
Yoshimasa
慶事の特別な外装のために作られたのであろうか。青味を帯び、ずしりと重い上質の赤銅地の外周に菊花のような唐松文様を十三個繋ぎ置いた、目を引く意匠の鐔である。
平地は丁寧な石目地仕上げ。唐松は、新芽と葉を真上から見て放射状にとらえ、中心を低くし、外側に向かって高さと厚みが増していく。中心は三星様の金色絵露象嵌が輝く。
十三という数に何か意味があったのだろうか。縁日が十三日の虚空蔵菩薩(広大な宇宙のような無限の知恵と慈悲を持った菩薩)と何か関係があるのか。十三月が正月の異名であるとか、数え年十三歳の十三参り。十三を「とみ(富)」と読ませて縁起を担ぐなど。数にまつ わるエピソードにも興味は尽きない。
鉄鐔の多い武州鐔にあって、上質の赤銅を厚く贅沢に使った本作はやはり特別の需に応えた作なのであろう。銘鑑に「松葉文透の鐔がある」という「透」は誤りで、本作のことを指していると思われる。
特別保存
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児島高徳図鐔 無銘 加賀後藤
Kaga Goto
元弘の変に敗れて隠岐に流されることとなった後醍醐天皇を救出すべく、闇に紛れて天皇行在所に忍び込んだ児島高徳だが、護りが固いため、桜の幹に「天莫空勾践(てんこうせんをむなしゅうすることなかれ) 時非無范蠡(ときにはんれいなきにしもあらず)」の詩を残して去った。天皇はこの文字を目にして勇気づけられ再起を図ったという。
赤銅魚子地を闇夜に見立て、満開の桜を前に筆を手にする高徳の姿を極肉高に彫り出し、金銀の色絵を濃密に施し、高徳の厳しい表情をも精密に再現している。加賀前田家仕え、交代で金沢に居住した後藤覚乗や従兄弟の顕乗等は、加賀後藤と呼ばれている。
特別保存
600,000
鳩に鏃図鍔(鐔) 銘 後藤光久(花押)
Mitsuhisa
切込みの浅い木瓜形を打ち返し耳とした一乗派が得意とする造り込み。陶板のように光沢のある鉄地には鳩と鏃の高彫象嵌。空には棚引く雲が金と赤銅の直線で簡潔に表わされている。写実的な鳩と鏃との異なる表現方法が興味深い。鳩は八幡宮を、弓矢は八幡太郎義家、あるいは武士そのものを連想させ るが、本作は弓矢ではなく散らばった鏃である。一乗派には朽ちた木材や古瓦を散らし置いた図の鐔がある。光久も得意とした画題で、動乱の時代の影響か、無常観や寂寥感、郷愁を誘う。制作年はわからないが、本作もやはり世情を反映して、一つの時代の終わりを暗示しているのではないか。そう考えると大和絵風の雲にも何か含みがあるようにも思われる。光久は後藤一乗の兄是乗(光凞)の子で治左衛門家の六代目を襲った。一乗に似た作風の上手である。
特別保存
230,000
鹿角竹虎図鐔 銘 平安城吉久
Yoshihisa
鹿角に蜂で俸禄。鹿角に蟻は禄有り。では鹿角に竹虎は何を意味するのであろう?
大振りで鍛えの良い鉄地は耳に向かってやや肉を落とした竪丸形。その耳に切り取られた鹿角を廻らし、それよりもはるかに小さな虎を真鍮象嵌している。角には毛彫りと真鍮の線象嵌が施され、切り口は写実的。判じ絵であろうか、何とも不思議な図である。鹿の角から連想するものを書き連ねていてはたと気がついた。敵の侵入を防ぐために鹿角のように枝の先端を尖らせて外側に向けた障害物を逆茂木という。その別名は鹿砦(ろくさい)、または逆虎落(さかもがり)。これは武運長久の願いが込められたものではないだろうか。虎があまりに小さく可愛らしいのが何とも味わい深く面白い。吉久は平安城式象嵌を得意とした江戸時代初期の鐔工。
特別保存
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蕪に蝶図鍔(鐔) 無銘 江戸肥後
Edo higo
蕪と蝶は古くから陶磁器や着物の文様として目にする画題である。不思議な取り合わせだが、古語で「頭」のことを「かぶ」と発音したことから蕪は出世の象徴。蝶は中国語でhudie。発音の一部dieが老年を意味する耋dieと音が通じることから長寿の象徴とされたという。
大振りの撫角形は鍛え良く、ゆったりとした趣。蕪は金の布目に銀の布目を厚く重ねた凝った仕上げ。手に持って角度を変えると銀の間からきらきらと金が覗く。踊るような葉は、葉脈に細かく金布目象嵌を施したものと葉先にぼかすように異なる色調の金で布目象嵌を入れたものの二種で表と裏、陰と陽を表す。打ち込まれた鏨が地紋のようにも見え、そこに薄く鋤き出された蝶が舞う。繊細な文様は三種の金による布目象嵌。江戸肥後とは、仙台出身の熊谷義之が江戸四谷に出て肥後細川家の抱え工となったことからついた熊谷一派の呼称。金銀の布目象嵌を多用した華やかな作風で人気を博した。四谷肥後とも呼ばれた。
保存
160,000
若松紋散図鐔 銘 東雲斎渡邊壽光作
Toshimistu(Toryusai school)
渡邊壽光(としみつ)は江戸後期に隆盛した東龍斎清壽の門人。木賊(とくさ)を耳に廻らした鐔、新趣の菊花尽し鐔、雪花文鐔、匂うような蘭の花を散らした鐔等(注)、写実味のある文様表現を得意とした名工。本作は、若松を組み合わせた繊細な線描写が美しい家紋散しの図。極上質の赤銅 地はあらゆる光を吸収してしまうかのように色合い黒々として、金による家紋とは陰陽の対極にある存在。大粒に蒔かれた魚子は一糸乱れず整然とし、高彫された家紋はふっくらと丸みがあって上品、金の色絵が鮮やかに映えている。
特別保存刀装具鑑定書
五十万円(消費税込)
注…いずれも『銀座情報』掲載品。
特別保存
500,000
乗牛読書図鍔(鐔) 銘 米澤住重斯
Shigenori
牛の背に後ろ向きで座り読書する人物は、中国の隋末に割拠した群雄の一人、李密(582年─619年)。官職を辞し、史記や漢書を学んでいた時期の姿である。大振りの竪丸形は空間を贅沢に使い、ゆったりとした趣。うっすら鋤き出された雲が流れ、重なり合った唐松の高彫には金象嵌の松毬が輝く。なだらかに柔らかく盛り上がった李密と牛の高彫。牛の背にはうっすらと背骨が浮かび、読書に熱中する主人を気遣うかのように見上げている。
裏は寂びた余韻を残す楼閣山水図。会津住重斯、または米澤住重斯と刻銘した菊池重斯には、薪を背負って読書する朱買臣図鐔(銀座長州屋蔵)という作がある。「ながら読書」は学習意欲が庶民層にまで浸透した江戸時代後期の世相の表れかもしれない。
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170,000
松樹騎馬菊水図鍔(鐔) 銘 法安
Hoan
大振りで光沢のある鍛えの良い鉄地。自然光で見るとやや赤みを帯び、所々黒味の強い錆色を呈する。薄手の造りだが、耳には数条の合わせ鍛えの跡を見せる。腐らかし(*)の技法により独特の雅味のある薄肉彫りを得意とした法安。絹糸よりも細い線は、溶けて消え入りそうでありながら確かに存在し、時に激しく渦を巻き飛沫を上げる。関連性があるのかないのか、画面に散りばめられた紋様は、菊水、菊の葉、海老(髭が異様に長い)、松、騎馬人物である。菊、海老、松は不老不死、延命長寿の祈念であろう。疾駆する馬と手に長い棒状のものを持った人物は何を表しているのか。そもそも全てに意味を見出そうとする姿勢にも問題があるのかもしれない。光の当たり方で鮮明にも見える薄肉彫りは、陽炎越しに景色を見ているような不思議な感覚が心地良い。法安は山吉兵とほぼ同時代に活躍し、共に尾張における在銘鐔の先駆けとなった名工である。
(*)腐らかし 鉄鐔における彫刻技法のひとつ。文様のところに耐酸性の塗料を塗っておき、その他の部分を腐食させ、文様を浮き上がらせたもの。焼手腐らかし、腐食彫りともいう。
特別保存
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七福神図鍔(鐔) 銘 長州萩之住友房作
Tomofusa
七福神信仰は、室町時代後期、禅宗の隆盛とともに「竹林の七賢人」に倣って成立したという。それ以前は大黒天と恵比寿の二神が福神として盛んに祀られた。装剣小道具においても古後藤の目貫や小柄、笄にこの二神が見られ、大黒天と恵比寿が相撲をとる「福神相撲図」という面白い画題もある。延命長寿、商売繁盛という現生利益を祈念する七福神信仰は、その後広く庶民に浸透していった。江戸後期には新春の散策を兼ねた七福神巡りなども盛んにおこなわれるようになる。長州鐔の美点である鍛え良く黒味の強い鉄地を浅い打ち返しの丸形に仕立て、琵琶をかき鳴らす弁財天を囲むように毘沙門天、布袋、寿老人、大黒天がいる。寿老人は楽しげに踊り、空には鶴が舞う。竹と松を背後に福禄寿が盃を持ち、恵比寿は亀を呼び寄せる。何ともおめでたい図を鋤出高彫に象嵌色絵で彫り描いた、江戸後期の長州金工友房の作である。
特別保存
180,000
渦文鍔(鐔) 無銘 古金工
Ko-kinko
数百年の時が降り積もった山銅地。大振りでほぼ真丸形の鐔は耳に向かって肉を落とし、耳際の厚さは僅かに1.9mm。かつての所持者達から余程愛好されたのであろう。始めは太刀の拵用として作られ、後に打刀拵の鐔となった。小柄笄櫃の形も古風である。そしてなんといっても文様が興味深い。同心円状に連続して展開するS字状の渦文は大きな五重の波紋となる。渦文は地球上のあらゆるところに存在する最も古い文様。日本では縄文土器にも見られる。渦はシンプルかつ的確に水の流れといった生命の根源を表し、転じて子孫繁栄を意味する吉祥文となる。ラヴェルのボレロのように、繰り返されるシンプルな文様は抗しがたい魅力を放つ。
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