新商品のご案内 冠落造短刀 銘 金剛兵衛丞盛高
元日の能登半島を襲いました地震により被災された皆様には
心よりのお見舞いを申し上げます。
―陰謀と政争渦巻く室町初期の時代を象徴するような精悍な短刀―
応永盛高のこの短刀は、身幅の割に寸法が延びて無反りの、室町初期の典型的な姿で、茎の先が僅かに切られるも殆ど生ぶ。棟を真に造り、重ねは極厚で、腰元に細樋が掻かれ、物打付近の鎬地の肉が削がれた鋭利で精悍な体配。
室町初期の応永頃は室町将軍と守護大名の力は拮抗し、陰謀・抗争の芽は常にあり、武士たちは寸延び短刀を腰に、いざという時に備えていた。

【参考】室町時代初期の権力構造について解説しております。(後編です)
吉盛、盛匡、盛清など盛の字を通り名とした金剛兵衛鍛冶は、大宰府に近い宝満山麓に鍛冶場を設けたことから、竈門神社の号宝満金剛に因んで金剛と名乗り、その石塔を模して茎先を剣形に仕立てた。中でも盛高は金剛兵衛の最も古い名跡の一つ。通常見る盛高は「大宰府住」と切銘した応永の金剛兵衛丞盛髙以降の工である。
銀座長州屋YouTubeチャンネルにて公開中。
「こんなこと造作もないはずだった―」
中原の覇者となった皇帝クビライ(フビライ)の野望の下、着々と版図を広げる元王朝。
前覇者南宋を呑み込み、高麗を配下に置き、その先の東方の小さな島国を征服することなど、いとも容易い筈であった。
あった筈が―
武器武具の視点から、七百五十年前の元寇を振り返るシリーズ後編【蒙古襲来】。前編では蒙古襲来時の鎌倉武士たちが腰に帯びていた刀を解説してまいりましたが、今回の後編では蒙古兵側の装備、冑と弓矢にスポットを当ててまいります。
時を経て再び日の目を見たそれらの歴史の遺骸たち。大山祇神社に奉納された有名な河野通有奉納の蒙古軍の革冑や弓矢、それと全く同様の蒙古の冑鉢と弓矢が登場致します。
月刊『銀座情報』 令和六年 6月(452号) 5/16発売
Web公開中
7月号は6/14発売予定
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安心してお刀をお楽しみ頂くために
~ご来店の皆様に私たちが出来ること~

抗菌素材のスリッパをご用意しております。
大きなサイズのご用意もございます。

店内の空気清浄
エアドッグを稼働させて店内のウイルス除去、
空気清浄に努めております。

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