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刀掛 伊藤 満 著 全383ページ
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武家美術品の代名詞として高い人気を誇る日本刀は幕末頃まで人々の腰間にあって、日常生活の中に溶け込んで存在していました。
日本刀は作柄や時代の古さなどによって刀格というものが形作られ、本阿弥家の発行する折紙には刀の経済価値が記され大名間の贈答品として用いられると共に日本刀とその外装までもが単なる美術品とは別の武家のステイタスシンボルとしての価値を持つに至ります。
このため、日本刀本体と日本刀に附すその外装様式を見れば、刀(外装)の所持者の身分をかなりの精度で判断することが可能となります。
興味深いのは、日本刀やその外装でだけでなく、日本刀を一時保管するための調度品にも日本刀やその外装同様の格式が求められた点です。ここでいうその調度品とは、刀掛を意味します。
今回ご紹介する書籍は、この刀掛の名品、貴重品をカラー写真をふんだんに用いて一冊にまとめた豪華な書籍です。
所載する刀掛(一部太刀掛)の総数は213点。これほどのバラエティーに富んだ刀掛の数々が製作されたのは、人々の生活の中に日本刀が深く根ざしていたことの証左であり、日本刀を腰から外して置くという行為が自宅や訪問先、宿泊先や店先など様々な場所で行なわれていたことを示しています。目的や用途に応じて微妙に形状や意匠を変える刀掛の姿はそのまま往時の人々の生活の在り方とその多様性を表しています。
日本刀芸術の奥深さ、豊かさを刀掛という調度品を通じて間近に感じることができ、さらに現存する最古の刀掛と目される太閤秀吉所用の蠟色塗菊桐紋蒔絵五本掛、德川家や毛利家、島津家、上杉家、井伊家、伊達家や宮家、琉球の刀掛まで目にも鮮やかな刀掛の数々とその解説に胸が躍ります!
愛刀をそれにふさわしい刀掛に飾り愛でる喜び・・・
そんな贅沢を夢想するだけで胸がわくわくすること間違いないでしょう。
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著者の言によれば、国内にある個人団体所有の刀掛の名品は殆ど網羅されているとのこと。刀掛の全容を知る上で必須の作品集
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30,250
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群亀蒔絵刀掛
no sign
後藤家の装剣小道具にも蓑亀)の図があるように、お正月などのお目出たい席で用いられた、長命を祈り、あるいは寿ぐ意味合いを持つ群亀図刀掛。黒漆塗地に金平目地を散らし、銀粉を水の流れに沿うように蒔(ま)き施して、澄んだ水面を表現している。この独特の黒色化した銀が、黒と金を背景に青空を映しているかのように鮮やかに起って配色の妙を示している。肉高く彫り出された群亀は写実的な構図と描写で色合いの異なる金銀粉とし、金や朱の付描を加え、刀掛から這い出てくるかのような動 感と生命感を一層際立つ描画としている。古くから中国の東海彼方にあると伝えられている楽園蓬莱を想わせる作品である。刀掛の端縁部は、金粉による鮮やかな紗綾形模様で、これも美観を高めている。
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売約0
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黒漆塗沢瀉紋金粉蒔絵刀掛
"Omodaka"mon kin-pun makie, katanakake
黒漆塗に金粉蒔絵にて立沢瀉、抱沢瀉など四種類の沢瀉紋を、さらに永楽通宝紋や丸に頭合わせ三つ木文字紋などの家紋を散し配した刀掛。
持ち手を横に渡す形式は大名家の遺例に多く見られるもので、遠く織田信長を思慕したものであろうか、永楽通宝紋が描かれている点が興味深い。永楽銭は明朝の永楽帝時代の銭貨のことで、北方の小皇族より身を興し、己が軍略を以て明朝最大の版図を築き上げた永楽帝に、信長が自らの姿を重ね合わせて紋所としたものと思われる。一方沢瀉は、前にのみ進んで後退しない蜻蛉(勝虫)が羽根を休める植物として、また網目のように根を張って成長することから繁栄の象徴として好まれ、毛利元就が家紋に採り入れたことは良く知られている。
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450,000
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鉄錆地三十二間筋兜 顰前立
Suji kabuto
謹直で簡潔、美しい筋立てが印象的な、わずかに後勝山形とされた三十二間筋兜。曲面をふっくらと打ち出した鍛え強い鉄板を前正中より後正中へ向けて整然と接ぎ合わせている。後正中の上部に総角の環を設け、天辺の座は菊座に二重の裏菊座、小刻座、透かし菊の抱花、玉縁を重ねた六段重ねとしている。眉庇は共鉄製で、金の色絵を施した三星鋲が燦然と輝き、吹き返しと共に唐草の筋彫りに金色絵を施した豪華な覆輪を廻らしている。吹き返しには小笠原家の紋所として知られる三階菱を金粉で描き入れ、綴は鉄板物切付小札五段の紺糸縅。前立は鉄打出の顰前立。鍛鉄を打ち出した際の鎚目が鮮明に現れた入念作。鉢と前立共々良質の鍛鉄を用いて製作されたもので、黒光りする錆色の美しさと、控えめに配された金色の対比に武家の格式が感じられる奥床しい兜である。
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700,000
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火縄銃 銘 國友(備前筒)
Kunitomo(Bizen-zutsu)
火縄銃の多くは口径10粍(mm)前後の細筒だが、実は一分玉を放つ口径四粍程の銃から五貫目玉用の口径145粍の大筒まで、用途により大きさは様々(注①)。中筒は口径15㎜から20粍程で、六匁目程の玉を放つ銃。細筒に比べて大きな破壊力がある一方、大筒にはない機動性を備えた軍用筒であった。 この中筒は深い色合いの銃床に肉厚の銃身を備え、口径1.6センチと大きく重厚感ある威容。注目するべきは火挟み。通常みる筒の多くが真鍮だが本作は鉄製。銃口部も丸みのある備前柑子で、備前筒(注②)の特色が顕著。銃身には「國友」の銘文がかろうじて読み取れ、國友彦右衛門知忠や國友戸十郎当栄、当節ら備前で活躍した國友鍛冶(注③)の作とみられ、銃身は國友筒らしく肉厚にして堅牢。健全な絡繰り付近には嵌め込まれた「無明」の二字は目当てを使って照準を合わせ、邪心なく放つための戒めであろうか。中筒の遺例は稀にて頗る貴重である。
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