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​業物

「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

【 業物 】

□越前守助広(丸津田) 井上真改 □武蔵守兼中 □左陸奥守包保

□下坂宗道 □下坂宗次 □土井真了(二代・作之丞)   伊勢守国輝

□山城守秀辰(初代)  □東連守久 □埋忠重義 □河内守国助(初代)

□山城守歳長(初代)  □会津兼友(初代)     □会津国貞 □信濃大掾忠国(初代)  □播磨守輝広(初代) □ 河内守国助(二代) □河内守国助(三代) □国光(摂州)   □ 陸奥守歳長(初代) 大和守吉道(初代)     □上野守吉国  □大和守吉道(二代)  □高柳貞広    □広政(大坂)

□鬼塚吉国  □信国重包 □相模守国綱 □信国重貞 □近江守久道(二代・金四郎)   □ 法城寺正弘    □伊賀守金道(初代)   □ 兼植(江戸) □越中守正俊(初代)  □伯耆守汎隆  □筒井紀充 □常陸守宗重(初代) □助高(大坂)    □八幡山清平 □ 越前重高(初代)  □近江守忠吉(四代) □国義(小浜) □越中守包国(初代)    □下坂継広  □□国武(郡山) □関友常    □近江守継平(初代)  □出雲守貞重  □信吉(京・初代) □播磨大掾忠国(初代) □和泉守金道(初代) □ 和泉守金道(二代) □出羽大掾行広(初代) □鬼神丸国重 □高田貞行(初代)□右陸奥守包保 □高田統行(初代) □出雲大掾吉武(初代)   □出雲守吉武(二代)  □ 高田重行  □河内守康長 □山城守国清(初代) □山城守国清(二代) □仙台安倫(二代) □国維(大坂) □播磨大掾清光 □勝兵衛清光  □五郎左衛門清光  □加州勝家(初代) □加州勝家(二代) □伯耆守信高(初代)  □ 伯耆守信高(二代)  □金房政次 □長船春光(十朗左衛門)    □下原照重   □上野介吉正 □聾長綱 □花房備前守祐国    □手柄山氏重(初代)      □対馬守一法 □千手院盛国□出羽大掾国路(初代) □二王清実 □作州兼景   □堀川国幸 □河内大掾正広(初代) □助信(大坂) □松葉本行(初代) □高田行平(同位)

□備中大掾正永(三代正広)                                        

 

【 追加 】

□長船賀光 □ 関兼音(彦四郎) □出羽守助重  □長船経家(初代) □長船経家(二代)   □ 相模守政常 □手掻包俊 □法城寺国吉 □土佐将監為康(初代) □越中守高平 □上野守兼定  □下総□大掾宗吉 □相州康春 □相模守兼安  □越後守忠道  □寿命(天正) □大和守安行 □関兼則(永正) □平高田盛方 □宇多国房 □長船祐定(初メ七兵衛)  □関兼道(天文) □加州行光(文亀) □小山関広長 □加州家吉 □弘包(初代) □国富(日向) □ 関兼貞(弘治) □清左(佐藤) □ 加州吉家(初代) □ 国平(奥氏) □貝三原正近 □鎮政(甲賀) □鎮忠(同位)  □高田国行 □国長(赤坂千住院末) □長船在光 □ 波平重吉□相州綱家 □会津為利 □長船久光   □ 播磨入道吉成 □ 関広辰(初代) □同田貫正国 □長船治光(治朗兵衛)  □  佐々木一峯(初代)  □  関兼辰(天文) □南紀重国(二代・金助) □越前兼正 □下原康重 □仙台永重(初代) □豊後守正全 □関兼国(延徳)    □加州兼巻(初代)  □月山寛安(日向) □国輝(与州) □関長俊    □河内守包定 □加州家忠 □陸奥守輝政 □若狭守道辰 □  国平(川崎) □ 広隆(広島・初代) □ 高田輝行 □助隣(江戸) □三条義国  □石堂正俊 □土州久国

業物

銘(菊紋)和泉守来金道(三代)(業物)

 父に伴って美濃国より京に移住して栄えた三品(みしな)伊賀守金道には、来金道(らいきんみち)、吉道、正俊の三人の弟がいる。吉道は丹波守、正俊は越中守を、そして来金道は文禄四年十二月七日に和泉守を受領した。その二代目来金道は元和二年五月六日に越後守を、三代は正保三年十一月十六日に和泉守を受領した。この刀は和泉守来金道三代の寛文年間の作。勅許の裏菊紋が誇らしげに刻された志津兼氏を見るような堂々の作。

業物

銘 大和守吉道(二代)(業物)

 大和守吉道二代は大坂城下の上呉服町一丁目(錦町ともいう、現在の大阪府中央区大手町)に住し、父初代の技術を継承し、京丹波吉道創始の川の流れを想わせる刃文、新鮮味のある丁子乱刃、助広に倣った濤瀾風の互の目乱刃等を能くした優工。天和頃に姫路藩主本多中務大輔忠国に召し抱えられ、「姫路大和」と尊称されている。

業物

銘 康継以南蛮鉄 於武州江戸作之(業物)

 江戸三代康継は「下坂市之丞三十七歳造之」と銘した寛文六年紀の刀があることから、生まれは寛永七年。江戸三代の呼称は、十七歳の時に父二代康継を喪った市之丞が江戸屋敷を継いだことによる。江戸三代は天賦の才に恵まれ、名手二代康継の薫陶で技量が頗る高く、また上総介兼重など江戸の業物作者と交流して技術を錬磨。初二代にも増した美しい地刃で、刃味の優れた作を打ち、新境地を拓いている。

業物

無銘 越中守正俊(業物)

 幅広く豪壮、そして手持ち重く、鎬地の肉がやや削がれ、総体に張った鎬筋が棟に抜けた張りのある力強い姿で、爪付の護摩箸と細樋、梵字が陰彫され、古刀然とした雰囲気がある無銘の本脇差は、恐らくは江戸初期慶長元和頃の作。作者は南紀重国、肥前国忠吉辺りであろうか。因みに今日の審査では伊賀守金道の末弟で、京三品一門中最も作域が広く上手とされる越中守正俊と極められている。

業物

銘 氏信岩捲 (業物)

 鎌倉期の寿命の後裔と伝える岩捲(がんまく)は、大永頃の氏信を初代として、濃州清水住岩捲氏信と刻銘した。岩捲氏信には天文の二代、清水城主で豪傑として名高い稲葉一鉄に仕えた元亀の三代がおり、さらに慶長、寛文と続き、天和頃には尾張でも打ち、氏信、元禄の氏宣と続いた。『太閤素生記』によれば、秀吉を信長の草履取りに紹介した一人に岩捲という者がいたと記されており、その者はおそらく刀鍛冶岩捲の一族であろう。

業物

銘 武州住照重作 唐沢作之佐打之 (業物)

 武蔵国多摩郡横河郷の住人照重は、北条氏康の二男滝山城主陸奥守氏照より照の一字を賜り、永禄二年頃より初銘の周重を照重に切り改めている。「唐沢作之佐打之」の所持銘のあるこの刀は、氏照による天正十三年の八王子城築城以前、天正年間前期の作刀と鑑せられている。

業物

銘 金房兵衛尉政次

 南都子守の住人金房兵衛尉政次には初、二代があり、共に興福寺の支院である宝蔵院で使われる宝蔵院流の十文字槍を鍛えて著名である。また、我が国においては平安時代より豊臣秀吉の天下統一に至るまでの全国の大寺は、僧徒を集め、これに武器を持たせて寺勢の拡大と保護を図っており、金房一派の刀槍の多くもこの時代の興福寺の僧兵の得物とされたものであろうが、政次の頑強な造り込みは戦国武将の好みにも適合するものであった

業物

銘 (菊紋)伊賀守藤原金道 日本鍛冶惣匠(業物)

 代伊賀守金道は、初代金道の嫡男。寛永十四年九月十六日に朝廷より正式に伊賀守を受領、同時に十六葉の菊紋と、初代が家康の奏請により勅許された「日本鍛冶惣匠」の称号を茎に刻す。この称号は慶長十九年の大坂冬の陣に先駆けて家康の命により百日で千振りの刀を打ち上げた初代の功績によって得たものである。

業物

銘 近江守法城寺橘正弘(初代) (業物)

 南北朝時代の但馬国に栄えた法城寺国光の、「法城寺」を名乗りとしたのが江戸で活躍した法城寺正弘である。本国但馬で名を滝川三郎太夫といい、江戸城下滝川町に居住して虎徹や興正、大和守安定などの優工と切磋琢磨した。これにより、地刃が一際冴えて刃味優れ、「虎徹と変る處なきを以て近年殊に鑑賞厚い」と評価が頗る高い。

業物

銘 肥前国忠吉(五代)

忠吉五代は優工でありながらも遅咲きであった。長命の父近江大掾忠吉の向鎚を勤め、延享四年九月九日に父(享年八十)を見送り、忠吉を襲名したのは五十二歳、寛延三年の近江守受領時は五十五歳であった。宝暦六年(六十一歳)に鍋島侯の命で佐賀城下の太神宮、仁比山神社、徳善院への奉納刀(注)を精鍛している。以降も父譲りの熟練の技術を以て忠吉家当主の責務を全うしている。

業物

朱変り塗海老鞘拵 短刀 銘 兼常(業物)

 朱に墨を重ねて斑地とし、印籠刻みに仕立てて海老の胴体を想わせる印象深い鞘塗りとした、海老鞘拵。使われている金具類も海老に題を得たもので、鞘尻には、腰の丸みを活かした素(す)銅(あか)地高彫になる海老図の鐺金具を設け、縁頭と目貫も海老図。付されているのは、細鏨の銘に特色がみられる兼常の作で、鎌倉時代の山城物を手本とした姿の良い短刀。

業物

銘 (菊紋)山城守藤原国清

 源兵衛尉祐定(げんべいのじょうすけさだ)は与三左衛門尉祐定の次世代の備前長舩の名工。天文から天正にかけて山陽道の戦国史の立役者である浦上宗景(注①)や三村家親(注②)の需で鎚を振るい、武器としての高い性能だけでなく姿や地刃に美しさの際立つ名品を手掛けている。

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