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千里眼-刀
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「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

大業物

Copy right Ginza Choshuya
Production work Tomoriki Imazu

日本刀販売専門店 銀座長州屋

​価額未表記は売約済または価額応相談のものです
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銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 寛文九年八月吉日

Tadahiro

銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 寛文九年八月吉日

大業物

 近江大掾忠広は、武蔵大掾忠広の嫡子。寛永九年に亡父の跡を継いで忠広を襲名し、鍋島勝茂公より佐賀城下に賜った長瀬町に屋敷を構え、河内大掾正広をはじめとする腕達者の工にも恵まれて繁栄し、寛永十八年七月二十二日に近江大掾を受領している。
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銘 近江大掾藤原忠広 (大業物)

Tadahiro

銘 近江大掾藤原忠広 (大業物)

大業物

 近江大掾忠廣は、寛永から元禄までの六十数年に亘って名刀の数々を手掛けた肥前忠吉家二代目。大業物に位列される鮮やかな刃味と美しい地刃で、肥前刀の礎を不動にした最大の功労者。早世した三代陸奥守忠吉もまた、忠廣が名作を生み出すための手足となっている。
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銘 近江大掾藤原忠広(大業物)

Tadahiro

銘 近江大掾藤原忠広(大業物)

大業物

 近江大掾忠広は慶長十九年の生まれで、初代忠吉が四十二歳の時の子。十歳頃から作刀に従事したのであろう、初代が没した寛永九年は十九歳、以降一門を率いて、子の三代忠吉、孫の四代忠吉を育て、元禄六年に八十歳で没するまで、作刀に対する厳しい姿勢は衰えることがなかった。寛文頃には次代を担う子に希望の光を見出していたとみえ、寛永十四年に生まれ二十代中ほどに成長していた三代忠吉との合作刀も多く遺している。
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銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 正保二年八月吉日

Tadahiro

銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 正保二年八月吉日

大業物

 近江大掾忠広は佐賀藩主鍋島家のお抱え刀工忠吉初代の嫡子。父の指導で十代後半には秘伝を修めており、十九歳で父を喪った寛永九年以降も親族の正広、行広らと切磋琢磨し技術を錬磨。忠吉一門の棟梁として大成し、寛永十八年七月二十二日に近江大掾を受領。この刀は、受領直前の貞享元年三十五歳頃の作。茎の剣先が鋭いのは正保から慶安頃の特徴で、銘字が一画一画入念に刻され、正保二年紀も貴重。
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銘 肥前国住近江大掾藤原忠広

Tadahiro

銘 肥前国住近江大掾藤原忠広

大業物

 肥前国。江戸時代前期。近江大掾忠広は初代忠吉の子で、その晩年銘「忠広」を襲い、三代目陸奥守忠吉と孫の四代近江大掾忠吉、また多くの門人を育て、肥前刀の実力を世に知らしめ、のちの刀工に多大な影響を与えた名人。
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銘 肥前国住近江大掾藤原忠広

Tadahiro

銘 肥前国住近江大掾藤原忠広

大業物

 近江大掾忠広は肥前国佐賀藩鍋島侯のお抱え刀工で、新刀随一と謳われる肥前国忠吉を父とする。寛永九年に父を喪った時、十九歳ながら一門の棟梁の重責を担い、主君の厳しい注文に応えて鍛刀し、父譲りの技術に一段と磨きをかけ、小糠肌と呼ばれるきめ細やかな小板目肌に端正な直刃や華麗な丁子乱刃が冴えた名刀を手掛け、肥前刀の名声を盤石なものとしている。
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銘 肥前国住近江大掾藤原忠広(大業物)

Tadahiro

銘 肥�前国住近江大掾藤原忠広(大業物)

大業物

 直刃の名手として遍く知られる近江大掾忠広は江戸期の肥前を代表する名流忠吉家の二代目。初代忠吉が追い求めた山城古作の再現を受け継ぎ、肥前刀の特質でもある地沸が微塵に付く美しい小糠肌を完成させた。美しさだけでなく斬れ味も大業物に列せられるほどに優れ、わが子三代目陸奥守忠吉な育て、肥前刀剣王国を世に知らしめた名匠である。
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銘 近江大掾藤原忠広(大業物)

Tadahiro

銘 近江大掾藤原忠広(大業物)

大業物

 肥前鍋島家の鍛冶、忠吉家の二代目近江大掾忠広が、我が子三代忠吉の協力を得て鍛え上げた覇気横溢の脇差。慶長十九年に生まれた忠広は、父の名跡を継いで以降元禄六年に八十歳で鎚を擱くまで、六十年以上の長きに亘って作刀活動を続け、肥前刀の特質でもある微塵に詰んだ小板目鍛えに細かな地沸が付いた小糠肌を基調とする、多くの名品を遺している。
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銘 近江大掾藤原忠広(大業物)

Tadahiro

銘 近江大掾藤原忠広(大業物)

大業物

 近江大掾忠広は初代忠吉の子で慶長十九年の生まれ。鍋島家に仕えて父と共に、時代に応じた精緻な地鉄とバランスの良い姿格好を研究、美しくしかも切れ味優れた数々の名刀を生み出した、江戸時代初期の肥前国だけでなく新刀期を代表する名工。
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