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千里眼-刀
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「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

大業物

Copy right Ginza Choshuya
Production work Tomoriki Imazu

日本刀販売専門店 銀座長州屋

​価額未表記は売約済または価額応相談のものです
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銘 越前守源助広(大業物)

Sukehiro

銘 越前守源助広(大業物)

大業物

 井上真改と共に新刀期大坂の横綱に位置付けられる助広は、寛永十四年の生まれで初代助広に学び、後に養子に迎えられている。天から授かった豊かな感性に加えて、刀の新時代を目指す探求心は広く深く、新趣の相州伝大互の目の刃文の創案だけでなく、本作があることによって古作を再現する感性と高い技術がその下地として存在していたことを示している。
870

銘 越前守藤原助広(大業物)

Sukehiro

銘 越前守藤原助広(大業物)

大業物

 津田越前守助広は大海の大波を想わせる「濤瀾乱刃」を完成させ、同時代の刀工は勿論、江戸後期、更には現代刀工にも影響を与えた刀界の巨星。十代後半の承応頃には父の代作代銘に当り、万治元年に独立して越前守となる。精美な地鉄と沸匂深い刃の冴えは圧巻で、元禄九年の『難波丸』の刀工値付では、同時代の大坂刀工とは別次元ともいうべき「刀十枚脇七枚」の高評価であった。
827

銘 越前守助広 雙(大業物)

Sukehiro

銘 越前守助広 雙(大業物)

大業物

 雙の文字を刻した津田越前守助広の濤瀾乱風大互の目乱出来の一刀。初代没後三年間に限って刻した雙の文字と銘振りから、寛文六年三十歳頃の作と鑑せられ、後に完成させた濤瀾乱の刃文の先駆けをなす絢爛華美なる焼き入れ。
1175

銘 越前守助広 寛文七年二月日 (大業物)

Sukehiro

銘 越前守助広 寛文七年二月日 (大業物)

大業物

 越前守助広は寛永十四年摂津打出村の生まれ。幼い頃から鍛冶修業を積み、早くも十七歳にして師初代助広の代作に携わっている。師の引退後は二代目を襲銘し、万治元年に越前守を受領、寛文七年に大坂城代を勤めた青山因幡守に抱えられ、以降、同じ大坂の井上真改と切磋琢磨して神域に到達。独創的な濤瀾乱刃で知られるも、刃文の美観に強く影響を及ぼす美しく整った地鉄鍛えを以て大坂新刀の横綱と尊称されている。
227

銘 越前守助広(大業物)

Sukehiro

銘 越前守助広(大業物)

大業物

 独自の刃文を生み出して大坂の横綱と仰がれた助廣(二代)は、寛永十四年の生まれ。初代の没後に名跡を継ぎ、綺麗に詰んだ大坂地鉄に大きく乱れる波濤の如き互の目を基調とした刃文の創案に挑んで新境地を切り拓き、しかも斬れ味鋭いことからその技術力が評価され、寛文七年に大坂城代青山因幡守宗俊の抱工となっている。
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銘 津田越前守助広 寛文十二年八月日

Sukehiro

銘 津田越前守助広 寛文十二年八月日

大業物

 津田越前守助広は、大坂常盤町の鍛冶場でそぼろ助広に就いて業を修め、その晩年には代作代銘を勤める。師の引退後は二代を襲い、万治元年に越前守を受領。小板目鍛えの精美な地鉄と、師譲りの鮮やかな互の目丁子乱刃に独自の工夫を加えて編み出した、沸匂の深い湾れ刃や大海原の波濤を想わせる濤瀾乱刃の冴えた作は、美しいだけでなく刃味も抜群に優れ、江戸時代前期の大坂で一際強い光彩を放った。
932

銘 備前国住長船祐定 永正四年八月吉日(大業物)

Sukesada

銘 備前国住長船祐定 永正四年八月吉日(大業物)

大業物

 戦国時代最大の勢力を誇った祐定家の台頭は、世に「永正祐定」と呼ばれて名高い彦兵衛尉祐定の技術力が根底にあった。次第に高まる需要に応えて高級武将の信頼厚く、斬れ味鋭く大業物に評価されている。片手で抜き打つに適した適度な寸法と身幅に仕上げ、肉を厚く仕立てる一方で樋を掻いて重量を調整しており、拵に装着して頗る安定感がある。
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肥前国近江大掾藤(以下切藤原忠広)

Tadahiro

肥前国近江大掾藤(以下切藤原忠広)

大業物

 江戸時代前期。肥前国。「肥前国住藤原忠広」「近江大掾藤原忠広」。忠広二代。新左衛門尉。忠吉初代の嫡子。慶長十九年(1614)生まれ。寛永九年(1632)父が没し、十九歳で家督を継ぐ。寛永十八年(1641)近江大掾を受領。家伝の直刃の他、独特の肥前足長丁子を創始。亡くなる直前まで槌を振るい、数多くの優品を遺す。肥前刀の礎を盤石にした功労者。元禄六年(1693)没。享年八十。
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刀 銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 脇差 脇差 銘 近江大掾藤原忠廣(大業物)

Tadahiro

刀 銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 脇差 脇差 銘 近江大掾藤原忠廣(大業物)

大業物

 近江大掾忠広は肥前国鍋島家に仕えた忠吉家の二代目で、慶長十九年の生まれ。父の初代忠吉が晩年に武蔵大掾を受領して用いた忠広銘を寛永九年に襲い、一門が目指していた古作山城物の再現に取り組んで綺麗な小板目鍛えを生み出し、江戸期における作刀文化の中心の一つとなった。
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