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千里眼-刀
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「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

大業物

Copy right Ginza Choshuya
Production work Tomoriki Imazu

日本刀販売専門店 銀座長州屋

​価額未表記は売約済または価額応相談のものです
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備州長船盛光 応永二十七年八月日

Morimitsu

備州長船盛光 応永二十七年八月日

大業物

 「盛光」「備州長船盛光」「修理亮盛光」応永備前の代表工。倫光の子である師光の子またはその弟子と伝わる。明徳五年(A.D.1394)に小反風の太刀があるが、応永年間(A.D.1394-A.D.1428)に入ると、小反風は消え洗練味のある作風に転じる。応永杢と呼ばれる杢目交じりの板目肌に防映りが立つ。棒樋は丸止めとなるものが多い。
259

銘 備州長船盛光 応永二十年八月日(大業物)

Morimitsu

銘 備州長船盛光 応永二十年八月日(大業物)

大業物

 盛光は室町時代初期応永頃に活躍した備前長船派の名工。応永杢と呼ばれる独特の板目鍛えに棒映り、刃文は複式互の目とよばれる独特の作風は同時期の康光と並び称されて、応永備前の双璧と賞されている。
1410

銘 備州長船盛光 応永廿六年二月日(大業物)

Morimitsu

銘 備州長船盛光 応永廿六年二月日(大業物)

大業物

 盛光は室町時代初期、鹿苑寺金閣などに代表される北山文化華やかなりし頃に活躍した備前刀工。理想の武家政治再建の風に励まされ、鎌倉期の一文字や長舩長光などの名工を範に、清く澄んだ地鉄の直刃や乱刃の溌溂たる作を手掛け、今も「応永備前」と尊称され、愛刀家に珍重されている。
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大磨上無銘 了戒(大業物)

Ryokai

大磨上無銘 了戒(大業物)

大業物

 了戒(りょうかい)は「山城国住人了戒作」と銘した永仁六年正月廿七日紀の太刀(藤代版『日本刀工辞典』)、「山城国住人九郎左」と銘した嘉元二年二月日紀の太刀(熱田神宮蔵 重文)のある、鎌倉後期の山城の刀工。古剣書によれば、了戒は来国俊の子とも伝え、作風も「来国俊に最も近似している」(『日本刀大鑑古刀篇一』)と高く評価される来派屈指の名工である。
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大磨上無銘 了戒(大業物)

Ryokai

大磨上無銘 了戒(大業物)

大業物

 鎌倉時代後期。山城国。「了戒」「了戒作」。来国俊の門人。僧門鍛冶という。鎌倉時代後期の照応年間(A.D.1288~A.D.1293)から延享年間(A.D.1308~A.D.1293)に亘り作刀。柾目を交え、地沸が豊かについて白く輝く独特の地鉄を特徴とする。
1568

大磨上無銘 了戒 (大業物)

Ryokai

大磨上無銘 了戒 (大業物)

大業物

了戒は鎌倉後期の山城国京の優工。『古今銘盡』には 「二字國俊子。正和比」とあるように来國俊の子と伝え、作風も来國俊に極めて近似。 三条宗近、 長舩光忠 綾小路定利らと共に刃味優れた刀工として「注進物」に選出せられ(『同書』)、 鎌倉武士たちの信頼の 厚さを窺わせている。
971

銘 了戒(大業物)

Ryokai

銘 了戒(大業物)

大業物

 山城国了戒には弘安役後の正応から永仁、正安、嘉元、延慶、応長の約二十年間に亙る年紀作が遺されている。その作風は、同世代の来国俊に似て典雅な京反りの体配に小沸出来の直刃、あるいは直小乱刃を焼いて格調の高いものが多く、僧門鍛冶を想わせる特異な匠銘とその語感に神秘性が漂い、古雅な生ぶの姿は同時代他工の作に比して一段と古調に感じられ、奥深い味わいのあるものが多い。
98

銘 越前守助広 雙(大業物)

Sukehiro

銘 越前守助広 雙(大業物)

大業物

 津田越前守助広は江戸時代からすでに「慶長以来新刃の冠たるべきものなり地鉄細かに麗しく小沸あらにえあって匂い至って深し、この乱刃をとうらん風と云う…」、また、「大洋に臨んで蛟竜を見るが如し、供波を起こして珠玉を躍らす…未だかつて斯く如き刃文を観ざるなり」等の記述がみられ、更に山田浅右衛門吉睦の試し斬りによる切れ味の等級においては大業物に列せられるなど、華実兼備の名刀作者としての声価高い。
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銘 津田越前守助広 延宝三年二月日(大業物)

Sukehiro

銘 津田越前守助広 延宝三年二月日(大業物)

大業物

 「越前守助広」「津田越前守助広」。二代助広は寛永十四年(1637)生れ。初代助広に鍛冶を学ぶ。万治元年(1658)に越前守を受領。粒の揃った沸出来の互の目乱れっを刃文の要とする構成美を追求。寛文三年の初代没後はさらに独創的な濤欄乱の創始へと突き進む。延宝二年より従来の楷書体銘を草書銘に改める。楷書体銘を角津田、草書銘は丸津田と称される。
ローテーション鐔

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