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千里眼-刀
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「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

大業物

Copy right Ginza Choshuya
Production work Tomoriki Imazu

日本刀販売専門店 銀座長州屋

​価額未表記は売約済または価額応相談のものです
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井上和泉守国貞 (菊紋)寛文十二年二月日

Kunisada

井上和泉守国貞 (菊紋)寛文十二年二月日

大業物

 「井上和泉守国貞」「井上真改」。国貞二代。国貞初代の次男。井上真改同人。慶安年間(1648~1652)より父の代作代銘を務める。万治四年(1661)菊紋勅許。寛文十二年(1672)八月、陽明学者熊沢蕃山の助言により真改に改名と言われる。
1759

金粉銘 国時 本阿(光遜花押)
(大業物)

Kunitoki

金粉銘 国時 本阿(光遜花押)
(大業物)

大業物

 文永、弘安と二度にわたる蒙古襲来で、鎌倉時代の肥後の最有力武士菊池武房は竹崎季長と共に大いに奮戦したが、御家人ではなかった為、幕府からの恩賞は少なかったという。「北条氏独裁の時代はいずれ終わる」と予感したものであろうか、菊池氏は乱世を乗り切るための雄刀を打たすべく、京都より来國行の外孫延壽太郎國村とその一門を招聘した。やがて後醍醐天皇が決起し、建武の新政を開始したものの、足利尊氏が反旗を翻したため天皇が夢見た理想政治は潰えてしまう。尊氏は光明帝を擁して京都に政権を樹立し、後醍醐天皇は奈良吉野に内裏を置いたため、全国で一族血脈を二分しての南北朝の争乱に突入したのであった。
1746

銘 来国俊(大業物)

Kunitoshi

銘 来国俊(大業物)

大業物

 来国俊は鎌倉後期の山城国の刀工。太刀の他、短刀に佳品が多く、護摩箸の彫のある直刃の短刀(黒川古文化研究所蔵 国宝)、正和五年十一月日紀の直刃の短刀(熱田神宮蔵 国宝)、文保二年三月紀の源来国俊銘の乱刃の短刀(重美)に代表される名品が知られ、京粟田口吉光、相州の新藤五国光等と共に短刀の名手に数えられている。
1537

平造脇差 銘 肥後守国康(大業物)

Kuniyasu

平造脇差 銘 肥後守国康(大業物)

大業物

 肥後守国康は、堀川国広門に学んで京より大坂に移住した大坂新刀の開拓者初代河内守国助の三男。次第に高まる豪商の注文などで知られているように、商都大坂ならではの美麗に詰み澄んだ地鉄鍛えに構成美豊かな刃文からなる華麗な丁子出来の作風を得意とし、殊に拳形に連続する丁子乱の刃文は国助一門の特質として人気を集めた。しかも国康は刃味が鋭く、後に山田浅右衛門の試断により大業物作者に列せられており、華やかに堕すことなく、武門の信頼をも高めた刀工である。
1352

銘 肥後守国康(大業物)

Kuniyasu

銘 肥後守国康(大業物)

大業物

 肥後守国康は国助初代の三男で、名を小林源左衛門といい、丁子乱刃の名手で中河内の呼称のある国助二代の弟である。豪壮で力強い造り込みを得意とし、兄に匹敵する実力であった。国康について、鎌田魚妙は『新刀辨疑』で「地銕至て細に匂ひ深く、丁子刃の名人、中河内同様の作也」と絶賛している。
1067

銘 国安(大業物)

Kuniyasu

銘 国安(大業物)

大業物

 国安は堀川国広の末弟で、志津を想わせる大鋒の刀(重要文化財)、梵字彫のある片切刃造の刀等重美三振等の名品を遺しているように国広に匹敵する実力者であったが、なぜか受領せず遺作も少ない。専ら国広の作刀に協力していた為と推考される。
1252

銘 (一葉葵紋)主水正正清 享保九年二月(大業物)

Masakiyo

銘 (一葉葵紋)主水正正清 享保九年二月(大業物)

大業物

 主水正正清(もんどのかみまさきよ)の名を天下に轟かせたのは享保六年江戸御浜御殿での将軍御前打。将軍吉宗が、諸大名に領内の刀工の作を提出させて審査した結果傑作刀に選ばれ、江戸に上って吉宗の御前で精鍛したのである。その功績によって将軍より一葉葵紋を拝領し主水正を任官。更に享保九年には吉宗の命で刀を精鍛し、幕府に献上している。
1354

菖蒲造脇差 銘 備州長船盛光 応永十八年二月日(大業物)

Morimitsu

菖蒲造脇差 銘 備州長船盛光 応永十八年二月日(大業物)

大業物

室町初期応永頃の備前国を代表する長舩盛光は、長舩兼光の孫師光の子と伝えられている。現存最古とされる明徳五年三月日紀の太刀(第二十三回重要刀剣)は細身で小模様な刃を焼いた南北朝後期小反派の作風だが、その後盛光の刃文は焼の高い互の目丁子出来へと発展している。
1637

銘 備州長舩盛光  応永二十六年六月日(大業物)

Morimitsu

銘 備州長舩盛光  応永二十六年六月日(大業物)

大業物

 「応永備前」の尊称があり、高い人気を誇っている盛光の脇差。二つの皇統を押して争った時代を克服した京都の足利将軍と守護大名の治世という複雑な時代を生きた盛光は、先行する鎌倉時代の備前一文字や長舩長光、景光等の作風を範にしながらも独自の工夫を凝らし、杢肌が目立ち、しかも個性的な映りの立つ精良な地鉄に腰の開いた互の目乱刃や端正な直刃の冴えた、新たな作風を展開した。
ローテーション鐔

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