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李白と杜甫の出会いは、中国文学に大きな発展をもたらした歴史的出来事であった。古く、詩は王朝貴族のためのものであったが、自由詩から次第に形態が整い、唐代に至ると文学的完成度が高まって多くの詩人が登場している。中でも、大らかで変幻自在の世界観を示したのが詩仙と評価された李白であり、韻律という形態的緊張感を鋭くしたのが詩聖と崇められた杜甫である。
出会いの時、李白は既に広く知られた著名な詩人であったが、世に出る前の杜甫は未だ若き文学青年。この頃の親しい交流によって杜甫は独自の世界観を見つけ出し、作風をより強固にしていったものと思われる。
唐の先天元(七一二)年、河南鞏県に生まれた杜甫は、宮廷詩人であった祖父の教えを受けて幼い頃から詩に親しみ、六歳にしてすでに詩をあらわした天性の才能を持った人物であった。後に中国史上最も優れた詩人と評された杜甫ではあったが、開元二十三(七三五)年の科挙の試験に受からず、落胆して各地を巡る旅に出たように、社会人としての評価は必ずしも高いものではなかった。度々官人への道を求めるも、生真面目すぎる性格が疎まれたものであろうか、願望は成就していない。
一方の李白は、長安元(七〇一)年、西域で活躍していた裕福な商人の家の生まれで、幼い頃に父と共に蜀の綿州昌隆県青蓮郷に移り来たという。商家という卑しい出自から科挙の受験資格がないため、そもそも官人への道は求めていなかったのであろう。読書を好み、一方では剣術をも習い、任侠の徒と関わって人を殺めたこともあるという。詩作に没頭したのは二十代中頃からだが、詩人として次第に名声を高めていった李白は、天宝元(七四二)年四十二歳で、宮廷に上り皇帝玄宗の側で詩を読み詔勅の起草にも関わる宮廷の翰林供奉となる。ところが、あまりにも自由奔放な行動が無礼と捉えられ、わずか二年で職を解かれている。
李白と杜甫二人の出会いは、天宝三(七四四)年に李白が宮廷を追われた直後のこと。性格は詩のように全く異なるものの、多くの評論家が記しているように、落ちこぼれに似た生き様から意気投合したのであろうか。彼らの旅の道筋は、磁石が引き合うように広い大陸の中の洛陽の街で一つに結ばれた。李白四十四歳、杜甫三十三歳、行動力と気力に満ちていた年代と言えよう。想いは詩作に留まらなかったであろう。殊に政治家を目指していた杜甫は、自らが世を変えられると信じていた。世を憂い、政治についての激しい意見の交換もあったであろう。だが二人は互いを理解して尊敬していた。名勝を訪ね、高楼に上り、時に酒に酔って同じ布団で眠ったこともあったという。
実際に二人が旅をした期間は短い。わずか一年ほどの交友であったが、兄として慕った李白に対する杜甫の思いは強く長く続き、その後の彼の生き方を形成している。もちろん詩作でも強い影響を受けたことは、李白への思いを綴った多くの作品で知ることができる。
この鐔は、抑揚変化を付けて素材そのものにも表情を持たせた金家独特の鉄地を高彫にし、李白と杜甫が旅をしている、所謂李杜騎驢の場面。鉄色黒々として鋤彫と高彫が絶妙の調和を生み、金家の技術の本質の一つである共鉄象嵌もその接合部が全く分からないほどの自然な状態で、古甲冑師など古鐔の肌を見るような、微かな鍛え目が図柄の中の景色の一部を成している。金家の魅力の一つに人物の顔の表現がある。後の多くの金工に影響を与えたであろう、精巧で緻密な高彫は、わずか数ミリの空間ながら微細な皺や髭を再現し、目や口が動いているのではないかと思わせるほどの細やかな描写。もちろん二人の顔つきや表情は違えており、遠くを眺めるために翳した手も、胸元に堅く結んだ拳もまた強い動きを秘めている。のんびりとした旅であろう、驢馬の動きも躍動感があるものの両者の表情に沿って穏やか。身体と衣服の揺れる様子などもごく自然な描写となっている。
草木の添景も金家らしさがある。何といっても裏面の山水風背景は、遠くなだらかに続く山並みと、その木陰に見える多宝塔、近景として懸崖に東屋を描き、李白や杜甫の時代の中国風景を想わせる山水の構成。下部は遠く広がる湖水で、芦の茂る水辺に舞い降りる雁を描き添えることにより、金家の個性とも言い得る京近隣の風景に取材した、我が国の自然観を窺わせる構成としている。
金家は高い教養を備えた武人であった。鐔の製作を前にして改めて歴史書物を紐解き、創造の糧としたに違いない。短刀の古名作が己を映し出す鑑の如き存在であったように、鐔にも同様の意味と美意識を与えるために自問を繰り返したであろう。果して歴史的人物を彫り描いた鐔が求められるのであろうか、遠く唐代の詩人の姿を彫り描いた鐔が所持者の精神を鎮め得るのであろうか、むしろ厳しい表情を示す火炎不動の図柄の方が武士の心の支えとなるのではないだろうか…。武士の存在意義を見つめ直した金家は自らを杜甫に重ね、律詩を編むようにこの精巧な彫刻作品を生み出したに違いない。
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