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2022年11月26日 8:09:46

Imazu
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第六回 新刀の横綱 国広

(関連リンク)

平造脇差 銘 國廣(国広)

【古刀と新刀】

 日本刀には「古刀:ことう」「新刀:しんとう」「新々刀:しんしんとう」と製作年代によって
日本刀を区別する分類方法があります。

「新刀:しんとう」とは慶長初年(1596年)より江戸時代までに鍛造された刀を指し、それ以前の作を「古刀:ことう」と呼んで区別しています。

この分類方法は、江戸時代前期に刀剣の系統的分類が試みられ、その当時に鍛造された作品を新しい刀という意味で「新刀:しんとう」と呼称したと考えられています。現代でも、この伝統にのっとり、同様の文言を使用して、日本刀の分類がなされています。

天使顔
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【新々刀】

 さらに、江戸時代でも後期の明和初年(1764年)以降を「新々刀:しんしんとう」と呼び分けています。

新々刀の下限には諸説がありますが、1871年(明治4年)8月9日、明治新政府による「散髪脱刀令」(さんぱつだっとうれい)の布告までと考えれば、おおむね間違いはないでしょう。

前述したとおり、「新刀」や「新々刀」とは、昭和、平成、令和など、現代に製作された刀に対する呼称ではありません。

また、この年代による分類方法は大きな時代的特徴を把握するのにとても有効です。各刀工の作域やその特徴を語る際に、まず、古刀・新刀・新々刀の分類を通じて、作刀がなされた時代背景を大まかに捉えることで、作品鑑賞の理解を深めることが可能となります。

天使顔
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【新刀の横綱 国広】

 新刀初期の代表的刀工の一人に堀川國廣がいます。
日向国の出身で、修験鍛冶とも表現されるように、各地を巡り歩いて作刀技術を習得し、京堀川に鍛冶場を設けました。

国広は戦国時代から江戸初期まで活躍していたことから、古刀期と新刀期、それぞれ異なる時代背景の下で作品を鍛えています。国広が古刀から新刀へと時代の要請に応じて作風を変化させてきたことから、国広は古刀から新刀への橋渡し役を果たした刀工といわれています。

この橋渡し的な役割を果たした刀工は国広以外にも多くいるのですが、多くの弟子を養成したことと、切れ味優れてしかも地鉄に特徴のある美しい作品を遺していること、そして威風堂々とした雄大で、風格を感じされる作風から、国広は「新刀の横綱」として尊ばれています。

天使顔
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【新古境(しんこざかい)】

このように戦国時代の古刀期から江戸時代初期にかけて活躍した刀工は、即ち新刀と古刀の境界線上に位置する刀工です。
この境界を「新古境:しんこざかい」と呼び、この時期の刀工を「新古境の刀工」と呼び慣わしております。

新古境の刀工には、越前康継、相模守政常、伊賀守氏房、陸奥守大道、伊賀守金道、越中守正俊などがいます。

天使顔
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【新古境の刀の特徴】

 新古境に活躍した刀工は前半期は古刀期、後半期は新刀期に刀を鍛えているため必然的に作風が変化します。
古刀期の質実な作風から、江戸初期には南北朝時代に流行した長大な太刀を磨り上げたような造り込みを手本とし、しかも南北朝期の作品に比して肉厚くがっしりとしているのが特長です。

このため新刀初期の刀のスタイルは、寸法長く身幅広く、反りがやや控えめの、伸びやかな姿格好です。
写真の刀がその例ですが、後の所持者により、寸法が短く(磨上:すりあげ)されています。

次回は、この刀の地鉄を拡大写真で紹介しましょう。

天使顔
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天使顔
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日本刀専門店 銀座長州屋

​Ginza Choshuya co&ltd

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