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日本刀の販売買取のご相談は日本刀専門店 銀座⻑州屋
1970年創業
銀座長州屋
日本刀・刀装具 専門店

Loding...
1759
金粉銘 国時 本阿(光遜花押)
(大業物)
Kunitoki
大業物
文永、弘安と二度にわたる蒙古襲来で、鎌倉時代の 肥後の最有力武士菊池武房は竹崎季長と共に大いに奮戦したが、御家人ではなかった為、幕府からの恩賞は少なかったという。「北条氏独裁の時代はいずれ終わる」と予感したものであろうか、菊池氏は乱世を乗り切るための雄刀を打たすべく、京都より来國行の外孫延壽太郎國村とその一門を招聘した。やがて後醍醐天皇が決起し、建武の新政を開始したものの、足利尊氏が反旗を翻したため天皇が夢見た理想政治は潰えてしまう。尊氏は光明帝を擁して京都に政権を樹立し、後醍醐天皇は奈良吉野に内裏を置いたため、全国で一族血脈を二分しての南北朝の争乱に突入したのであった。
1768
銘 越前守助広(二代) (大業物)
Sukehiro (The 2nd generation)
大業物
津田越前守助広は助広初代の子で、十代後半にはすでに父が得意とする互の目丁子乱刃を物にしており、その代作を勤めるほどの高い技術を保持するに至っていた。後年、互の目乱刃に創意を加えて大海原の波を想わせる「濤瀾乱」 を完成させた助広の作は、美しくしかも刃味が優れていたことから人気は絶大であった。因みに元禄九年の『難波丸』の刀工値付では、助広は「刀(大判)十枚脇七枚」で、刀三枚から五枚、脇差は二、三枚という他工に比較して別格の評価を得ており、まさしく「大坂新刀の横綱」と尊称されるに相応しい名工であった。
134
肥前国近江大掾藤(以下切藤原忠広)
Tadahiro
大業物
江戸時代前期。肥前国。「肥前国住藤原忠広」「近江大掾藤原忠広」。忠広二代。新左衛門尉。忠吉初代の嫡子。慶長十九年(1614)生まれ。寛永九年(1632)父が没し、十九歳で家督を継ぐ。寛永十八年(1641)近江大掾を受領。家伝の直刃の他、独特の肥前足長丁子を創始。亡くなる直前まで槌を振るい、数多くの優品を遺す。肥前刀の礎を盤石にした功労者。元禄六年(1693)没。享年八十。
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