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鉄朱漆塗日輪文仏二枚胴 附 籠手一双

Nimaido

"Nimaido " Japanese body armor, two iron plats jointted together

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江戸時代初期
約400年前
浅野誠一先生 旧蔵
日本甲冑武具研究会
特別貴重資料認定書(江戸時代前期)

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円(税込)

甲冑具足

2122

 足軽は戦国武士団における実戦部隊の構成員で、鉄炮足軽、弓足軽等、職能に応じて分かれていた。彼らは主の武将から支給された定紋入りの具足に陣笠を被って大小の刀を腰に差し、鉄炮足軽であれば鉄炮の他に火薬と火縄を、弓足軽であれば弓矢と弦巻など、各々の扱う武器に関わる道具を持ち、兵糧を一食ずつ小分けにした袋を繋げた数珠玉を襷掛にしていたのであった(注①)。(『雑兵物語』東京国立博物館蔵(注②))。だが、足軽が身に着けた具足の現物を見ることは今日殆どない。それは、足軽の具足が戦場で消費されたことにより現存が極めて希だからで、同田貫正國や高天神兼明の刀が実戦で消費された結果、今日、健全な状態の在銘作が少ないのと全く同じである。
 表題の具足は、足軽が着用した極めて貴重な遺例。胴は打ち出した二枚の鉄板を前後で組み合わせる堅牢かつ簡単な二枚(にまい)胴(どう)で、前胴と後胴の左脇側にそれぞれ六十七、九十六と朱書があり、まとまった数が製造された事がわかる。この二枚の胴の左側を蝶番とし、右脇を紐で引き合わせるのである。蝶番を外せば二枚を重ねて保管することも可能で、運搬も容易である。胴には朱漆が塗り施されて渋い色合いを呈し、金粉塗の日輪文は見栄えがよく、擦れた跡が四百年以上の歳月を感じさせる。胴の脇は大きく開かれて腕を動かすのに適し、装着もしやすい。
胴に附帯する籠手(こて)の裏地は麻であろうか、密に織り込んだ布で、これに藍染の表地が縫い合わせられた丈夫な仕立てとされ、足軽の運動量も考慮され通気性に優れている。前腕部に長さ約十八糎、幅約一糎半の鉄札が一糎間隔で六筋置かれ、これに続く二の腕部分に長さ約五糎、幅一糎半の朱塗の細札が二糎程の間隔で横に六枚、縦に一糎間を空けて四枚置かれている。前腕部より小さな鉄札が用いられたのは動きやすさへの配慮であろう。また、鉄札の間には鎖が縫い付けられて腕の守りとされ、さらに肩に置かれた長さ約十七糎幅、約二糎半の朱塗の鉄板が腕の付け根の部分への用心とされている。肘付近に鉄板はないが、肘の先端部を中心に人間の関節の仕組みへの理解に基づいたものであろう、屈伸し易いように鎖が付けられている。手甲(てっこう)はないが、手首の辺りにも鎖が付されている。高級武将の籠手に比べて極めて簡素な造りだが、防御のための必要最小限の細工が施されているもので、仕事ぶりは実に丁寧。朱漆塗が胴の朱色と同調し、美観も上々である。草摺(くさずり)は六枚で、各々金白檀塗の鉄板四枚が紺糸で威され、足回りの防御となっている。
足軽の具足は至極簡素な構造だが、いや、だからこそ機動性が抜群であった。伝統的な甲冑のスタイルに比べ、斬新さを秘めていたことから、美意識に優れた武将はそこに注目したようである。というのは、有名武将の具足で袖のないものが少なくないからある。
たとえば鍋島勝茂の青漆塗萌黄糸威の二枚胴具足(佐賀・鍋島報效会蔵)は袖が極端に小さい。また立花宗茂の栗色皮包仏胴具足(立花家資料館蔵)、黒田如水の黒糸威五枚胴具足(福岡市博物館蔵)、黒田長政所用の、一ノ谷形兜が附帯する黒糸威五枚胴具足(福岡市博物館蔵)、本多忠勝所用の黒糸威胴丸具足(個人蔵)、榊原康政所用具足(榊神社蔵)、関ケ原で徳川家康が所用という大黒頭巾形兜の胴丸具足(久能山東照宮蔵)、これらには袖がない(注③)。陣羽織を着用するべく袖がないのか、家臣に下賜した故に失われたのか不明だが、いずれも軽快で機動性に優れ、しかも斬新な意匠となっている。
袖は、大鎧時代には飛来する矢を防ぐ目的が大きかったが、地上戦で腕周りの機動性が求められる戦国時代には邪魔と考えられたのであろう。戦国武将たちが、胴と籠手のみで躍動する足軽衆の姿に新たな用の美を発見し、自らの具足に採り入れたとすれば、下級武士の頭形兜の造形美と可能性に気づいた高位の武将が自らの兜に採用したように、「武具の下剋上」が具足にもあったということであろうか。
この具足は『兜のみかた頭形兜考』(雄山閣出版株式会社)の著者浅野(あさの)誠一(せいいち)先生遺愛の品であった。浅野先生は慶應大学医学部教授、浦和市立病院長を歴任し、医師として多忙な日々を送る傍ら、僅かな時間を縫って、甲冑武具研究に情熱を注いだ。その研究姿勢は徹底した実物主義であり、兜や鎧を具に観察、採寸し、文献と絵画史料に照らして考察を深めた。著書はその成果である。着用した足軽の体温が伝わり来るような、表題の二枚胴具足を日々眺め、また時に触っていた浅野先生。その脳裏には法螺や陣太鼓の音が鳴り響き、甲冑武具研究への意欲を奮い立たせておられたのであろう。遥か戦国期の足軽が着した二枚胴具足を見て、思いを馳せる。数寄者の愉しみというものは、やはりこれに尽きるのであろう。


注①…藤本正行『戦国合戦の常識が変わる本』(洋泉社)。
注②…東京国立博物館デジタルコレクション参照。
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0023427 
注③…黒田長政像(福岡市博物館)には現存品と同じく袖はなく陣羽織
を着している。一方、本多忠勝の具足像(重文)には大袖が描写さ
れている。そもそも袖は実在したのだろうか。仮にあったとすれ
ば極小の袖であるのが自然ではなかろうか。

​No.

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