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千里眼-刀
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「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

最上大業物

Copy right Ginza Choshuya
Production work Tomoriki Imazu

日本刀販売専門店 銀座長州屋

​価額未表記は売約済または価額応相談のものです
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銘 長曽祢興里入道乕徹(最上大業物)

最上大業物

Kotetsu

銘 長曽祢興里入道乕徹(最上大業物)
 長曽祢虎徹は興里と銘する越前の甲冑師であったが、承応から明暦頃の五十歳位の時に江戸に出て刀鍛冶に転じ、入道して古鉄、後に虎徹(乕徹)と切り、生涯この銘を用いている。作刀の師と目される和泉守兼重との縁故から試刀家山野勘十郎永久と浅からぬ間柄となり、その教えを採り入れて切れ味を第一義とする鍛法の究明に精進し、遂には清冽に冴えた地鉄に凛々たる焼き入れの、華実兼備の名刀の鍛造に成功した。
1427

銘 山城大掾藤原国包(最上大業物)

最上大業物

Kunikane

銘 山城大掾藤原国包(最上大業物)
 仙台国包は大和古鍛冶保昌の末と伝えている。若くから鍛冶業に就き、技量優れて伊達政宗に見出され、大坂の陣の陣中で作刀に励んでおり、元和元年には政宗の命で京に上り、越中守正俊にも学んでいる。時の流れの中で跡絶えた大和保昌派の古法柾目鍛えを再現し、本歌に迫る迫力と、江戸初期ならではの精緻さと美観を備え、さらには最上大業物に指定されるほどの斬れ味を誇った、華実共に秀でた名工。
1218

銘 山城大掾藤原国包(最上大業物)

最上大業物

Kunikane

銘 山城大掾藤原国包(最上大業物)
 鎌倉時代後期の大和にあって柾目鍛えを特徴とする保昌貞宗などの流れを汲む工が応永頃に陸奥国仙台国分に移住し、大和古伝を下地として時代に応じた実用刀を製作しており、國包はその流れの中でも格段に技量の優れた工。慶長以降この地を領した伊達政宗に仕えた國包は、持ち前の鍛冶技術が認められるも、更なる修業を命じられて京の越中守正俊の門に学び、寛永四年に山城大掾を受領している。
1322

銘 山城大掾藤原国包(最上大業物)

最上大業物

Kunikane

銘 山城大掾藤原国包(最上大業物)
 大和保昌の末流を称した国包は陸奥国仙台の住人。古作保昌に迫り、しかも新時代ならではの美しい柾目鍛えに変化のある焼刃を施すを得意とした。主君伊達政宗の命により、慶長末年から元和初年にかけ、京の名匠越中守正俊に入門して修業を積み、寛永三年二月までに山城大掾を受領(している。
1486

銘 (九曜紋)山城大掾藤原国包(最上大業物)

最上大業物

Kunikane (The founde)

銘 (九曜紋)山城大掾藤原国包(最上大業物)
 伊達政宗の抱工、国包初代。この脇差は、政宗から拝領の九曜紋が茎に刻された稀有の一振。
1345

銘 伯耆守平朝臣正幸  寛政二年戌二月

最上大業物

Masayoshi

銘 伯耆守平朝臣正幸  寛政二年戌二月
 伯耆守正幸(ほうきのかみまさよし)は奥元平と共に江戸後期の薩摩を代表する刀工。長寿老成の刀工で、『日本刀銘鑑』にみえる初作は宝暦十四年三十二歳の時であり、また、伯耆守を受領して正幸と改めたのも還暦目前の五十七歳であった。その後も気力と技量は衰えず、文化十四年八十五歳作)を物にしている。
1298

薙刀直し脇差 額銘 備州長舩光景

最上大業物

Mitsukage

薙刀直し脇差 額銘 備州長舩光景
 南北朝時代の薙刀の多くは実戦で重宝され消耗し、完全な状態で遺されている遺例は少ない。この脇差はその数少ない薙刀直しの脇差の一例。南北朝期の武将が打ち振るった三尺を超す刃長の大薙刀を大磨上としたもので、「備州長舩光景(みつかげ)」の銘が額銘とされている。
1263

月刊『銀座情報』令和6年6月号 掲載品のご紹介(動画)

最上大業物

Monthly magazine "Ginza Joho" the 6 issue

月刊『銀座情報』令和6年6月号 掲載品のご紹介(動画)
 月刊『銀座情報』令和6年6月号の掲載品を動画でご紹介しております。

 館蔵品鑑賞ガイド#336
 黒漆塗大円山形百二十間筋兜 本小札萌黄絲縅大鎧 籠手 銘 明珍紀宗晴作之 天保八酉年八月吉日 臑当 銘 明珍宗晴作
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銘 陸奥大掾三善長道

最上大業物

Nagamichi

銘 陸奥大掾三善長道
 三善長道は寛永十年陸奥国会津の生まれ。万治元年に陸奥大掾を受領。長道には山野勘十郎久英の「参ツ胴截断」などの試銘の刻された刀があり、刃形は二連三連の互の目を連ねて江戸の長曽祢虎徹を想わせ、最上大業物の刃味と相俟って会津虎徹の異名がある。
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