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千里眼-刀
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「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

大業物

Copy right Ginza Choshuya
Production work Tomoriki Imazu

日本刀販売専門店 銀座長州屋

​価額未表記は売約済または価額応相談のものです
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銘 津田越前守助広 寛文十二年八月日

Sukehiro

銘� 津田越前守助広 寛文十二年八月日

大業物

 津田越前守助広は、大坂常盤町の鍛冶場でそぼろ助広に就いて業を修め、その晩年には代作代銘を勤める。師の引退後は二代を襲い、万治元年に越前守を受領。小板目鍛えの精美な地鉄と、師譲りの鮮やかな互の目丁子乱刃に独自の工夫を加えて編み出した、沸匂の深い湾れ刃や大海原の波濤を想わせる濤瀾乱刃の冴えた作は、美しいだけでなく刃味も抜群に優れ、江戸時代前期の大坂で一際強い光彩を放った。
1619

銘 備前国住長船祐定 永正四年八月吉日(大業物)

Sukesada

銘 備前国住長船祐定 永正四年八月吉日(大業物)

大業物

 戦国時代最大の勢力を誇った祐定家の台頭は、世に「永正祐定」と呼ばれて名高い彦兵衛尉祐定の技術力が根底にあった。次第に高まる需要に応えて高級武将の信頼厚く、斬れ味鋭く大業物に評価されている。片手で抜き打つに適した適度な寸法と身幅に仕上げ、肉を厚く仕立てる一方で樋を掻いて重量を調整しており、拵に装着して頗る安定感がある。
134

肥前国近江大掾藤(以下切藤原忠広)

Tadahiro

肥前国近江大掾藤(以下切藤原忠広)

大業物

 江戸時代前期。肥前国。「肥前国住藤原忠広」「近江大掾藤原忠広」。忠広二代。新左衛門尉。忠吉初代の嫡子。慶長十九年(1614)生まれ。寛永九年(1632)父が没し、十九歳で家督を継ぐ。寛永十八年(1641)近江大掾を受領。家伝の直刃の他、独特の肥前足長丁子を創始。亡くなる直前まで槌を振るい、数多くの優品を遺す。肥前刀の礎を盤石にした功労者。元禄六年(1693)没。享年八十。
348

刀 銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 脇差 脇差 銘 近江大掾藤原忠廣(大業物)

Tadahiro

刀 銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 脇差 脇差 銘 近江大掾藤原忠廣(大業物)

大業物

 近江大掾忠広は肥前国鍋島家に仕えた忠吉家の二代目で、慶長十九年の生まれ。父の初代忠吉が晩年に武蔵大掾を受領して用いた忠広銘を寛永九年に襲い、一門が目指していた古作山城物の再現に取り組んで綺麗な小板目鍛えを生み出し、江戸期における作刀文化の中心の一つとなった。
1648

銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 寛文九年八月吉日

Tadahiro

銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 寛文九年八月吉日

大業物

 近江大掾忠広は、武蔵大掾忠広の嫡子。寛永九年に亡父の跡を継いで忠広を襲名し、鍋島勝茂公より佐賀城下に賜った長瀬町に屋敷を構え、河内大掾正広をはじめとする腕達者の工にも恵まれて繁栄し、寛永十八年七月二十二日に近江大掾を受領している。
237

銘 近江大掾藤原忠広 (大業物)

Tadahiro

銘 近江大掾藤原忠広 (大業物)

大業物

 近江大掾忠廣は、寛永から元禄までの六十数年に亘って名刀の数々を手掛けた肥前忠吉家二代目。大業物に位列される鮮やかな刃味と美しい地刃で、肥前刀の礎を不動にした最大の功労者。早世した三代陸奥守忠吉もまた、忠廣が名作を生み出すための手足となっている。
518

銘 近江大掾藤原忠広(大業物)

Tadahiro

銘 近江大掾藤原忠広(大業物)

大業物

 近江大掾忠広は慶長十九年の生まれで、初代忠吉が四十二歳の時の子。十歳頃から作刀に従事したのであろう、初代が没した寛永九年は十九歳、以降一門を率いて、子の三代忠吉、孫の四代忠吉を育て、元禄六年に八十歳で没するまで、作刀に対する厳しい姿勢は衰えることがなかった。寛文頃には次代を担う子に希望の光を見出していたとみえ、寛永十四年に生まれ二十代中ほどに成長していた三代忠吉との合作刀も多く遺している。
713

銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 正保二年八月吉日

Tadahiro

銘 肥前国住近江大掾藤原忠広 正保二年八月吉日

大業物

 近江大掾忠広は佐賀藩主鍋島家のお抱え刀工忠吉初代の嫡子。父の指導で十代後半には秘伝を修めており、十九歳で父を喪った寛永九年以降も親族の正広、行広らと切磋琢磨し技術を錬磨。忠吉一門の棟梁として大成し、寛永十八年七月二十二日に近江大掾を受領。この刀は、受領直前の貞享元年三十五歳頃の作。茎の剣先が鋭いのは正保から慶安頃の特徴で、銘字が一画一画入念に刻され、正保二年紀も貴重。
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銘 肥前国住近江大掾藤原忠広

Tadahiro

銘 肥前国住近江大掾藤原忠広

大業物

 肥前国。江戸時代前期。近江大掾忠広は初代忠吉の子で、その晩年銘「忠広」を襲い、三代目陸奥守忠吉と孫の四代近江大掾忠吉、また多くの門人を育て、肥前刀の実力を世に知らしめ、のちの刀工に多大な影響を与えた名人。
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