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千里眼-刀
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「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

大業物

Copy right Ginza Choshuya
Production work Tomoriki Imazu

日本刀販売専門店 銀座長州屋

​価額未表記は売約済または価額応相談のものです
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大磨上無銘 了戒(大業物)

Ryokai

大磨上無銘 了戒(大業物)

大業物

 鎌倉時代後期。山城国。「了戒」「了戒作」。来国俊の門人。僧門鍛冶という。鎌倉時代後期の照応年間(A.D.1288~A.D.1293)から延享年間(A.D.1308~A.D.1293)に亘り作刀。柾目を交え、地沸が豊かについて白く輝く独特の地鉄を特徴とする。
1568

大磨上無銘 了戒 (大業物)

Ryokai

大磨上無銘 了戒 (大業物)

大業物

了戒は鎌倉後期の山城国京の優工。『古今銘盡』には 「二字國俊子。正和比」とあるように来國俊の子と伝え、作風も来國俊に極めて近似。 三条宗近、 長舩光忠 綾小路定利らと共に刃味優れた刀工として「注進物」に選出せられ(『同書』)、 鎌倉武士たちの信頼の 厚さを窺わせている。
971

銘 了戒(大業物)

Ryokai

銘 了戒(大業物)

大業物

 山城国了戒には弘安役後の正応から永仁、正安、嘉元、延慶、応長の約二十年間に亙る年紀作が遺されている。その作風は、同世代の来国俊に似て典雅な京反りの体配に小沸出来の直刃、あるいは直小乱刃を焼いて格調の高いものが多く、僧門鍛冶を想わせる特異な匠銘とその語感に神秘性が漂い、古雅な生ぶの姿は同時代他工の作に比して一段と古調に感じられ、奥深い味わいのあるものが多い。
112

銘 津田越前守助広 延宝三年二月日(大業物)

Sukehiro

銘 津田越前守助広 延宝三年二月日(大業物)

大業物

 「越前守助広」「津田越前守助広」。二代助広は寛永十四年(1637)生れ。初代助広に鍛冶を学ぶ。万治元年(1658)に越前守を受領。粒の揃った沸出来の互の目乱れっを刃文の要とする構成美を追求。寛文三年の初代没後はさらに独創的な濤欄乱の創始へと突き進む。延宝二年より従来の楷書体銘を草書銘に改める。楷書体銘を角津田、草書銘は丸津田と称される。
1093

銘 越前守源助広(大業物)

Sukehiro

銘 越前守源助広(大業物)

大業物

 井上真改と共に新刀期大坂の横綱に位置付けられる助広は、寛永十四年の生まれで初代助広に学び、後に養子に迎えられている。天から授かった豊かな感性に加えて、刀の新時代を目指す探求心は広く深く、新趣の相州伝大互の目の刃文の創案だけでなく、本作があることによって古作を再現する感性と高い技術がその下地として存在していたことを示している。
870

銘 越前守藤原助広(大業物)

Sukehiro

銘 越前守藤原助広(大業物)

大業物

 津田越前守助広は大海の大波を想わせる「濤瀾乱刃」を完成させ、同時代の刀工は勿論、江戸後期、更には現代刀工にも影響を与えた刀界の巨星。十代後半の承応頃には父の代作代銘に当り、万治元年に独立して越前守となる。精美な地鉄と沸匂深い刃の冴えは圧巻で、元禄九年の『難波丸』の刀工値付では、同時代の大坂刀工とは別次元ともいうべき「刀十枚脇七枚」の高評価であった。
827

銘 越前守助広 雙(大業物)

Sukehiro

銘 越前守助広 雙(大業物)

大業物

 雙の文字を刻した津田越前守助広の濤瀾乱風大互の目乱出来の一刀。初代没後三年間に限って刻した雙の文字と銘振りから、寛文六年三十歳頃の作と鑑せられ、後に完成させた濤瀾乱の刃文の先駆けをなす絢爛華美なる焼き入れ。
1175

銘 越前守助広 寛文七年二月日 (大業物)

Sukehiro

銘 越前守助広 寛文七年二月日 (大業物)

大業物

 越前守助広は寛永十四年摂津打出村の生まれ。幼い頃から鍛冶修業を積み、早くも十七歳にして師初代助広の代作に携わっている。師の引退後は二代目を襲銘し、万治元年に越前守を受領、寛文七年に大坂城代を勤めた青山因幡守に抱えられ、以降、同じ大坂の井上真改と切磋琢磨して神域に到達。独創的な濤瀾乱刃で知られるも、刃文の美観に強く影響を及ぼす美しく整った地鉄鍛えを以て大坂新刀の横綱と尊称されている。
227

銘 越前守助広(大業物)

Sukehiro

銘 越前守助広(大業物)

大業物

 独自の刃文を生み出して大坂の横綱と仰がれた助廣(二代)は、寛永十四年の生まれ。初代の没後に名跡を継ぎ、綺麗に詰んだ大坂地鉄に大きく乱れる波濤の如き互の目を基調とした刃文の創案に挑んで新境地を切り拓き、しかも斬れ味鋭いことからその技術力が評価され、寛文七年に大坂城代青山因幡守宗俊の抱工となっている。
ローテーション鐔

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