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千里眼-刀
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「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

最上大業物

Copy right Ginza Choshuya
Production work Tomoriki Imazu

日本刀販売専門店 銀座長州屋

​価額未表記は売約済または価額応相談のものです
803

銘 武蔵大掾藤原忠広(最上大業物)

最上大業物

Tadahiro

銘 武蔵大掾藤原忠広(最上大業物)
 武蔵大掾忠広は「ごじただ」こと肥前国忠吉同人。佐賀藩主鍋島勝茂の命により、慶長元年に上京して埋忠明寿門で修業。この脇差は、銘形から大坂夏の陣の記憶が残る寛永二年八月頃の作と鑑られる。鎬地の肉が削ぎ落されて鎬筋が棟に抜ける頑健鋭利な冠落造で、長い刀に差し副えられた操作性の高い作。
1510

銘 武蔵大掾藤原忠広 寛永五年二月吉日(最上大業物)

最上大業物

Tadahiro (Musashi daijo)

銘 武蔵大掾藤原忠広 寛永五年二月吉日(最上大業物)
 武蔵大掾忠広は初銘を肥前国忠吉といい、肥前藩主鍋島勝茂侯に仕えた刀工。元和十年に武蔵大掾を受領して忠広と改銘している。厳しい戦国期を生き抜き、肥前刀の棟梁として一門を率いた忠広の地鉄は、古刀期からの作刀であるが故に詰み過ぎることなく古色があり、焼刃にも独特の自然味が漂い、嫡子近江大掾忠広以降の完成された作風とは趣を異にする味わい深いものである。
1199

銘 武蔵大掾藤原忠広 (最上大業物)

最上大業物

Tadahiro (Musashi daijo)

銘 武蔵大掾藤原忠広 (最上大業物)
 武蔵大掾忠広は肥前佐賀藩主鍋島勝茂侯に仕えた刀工で、初銘を肥前国忠吉と切り、元和十年に上京して武蔵大掾を受領し忠広と改めた。鍋島侯は忠広の刀を高く評価し、その作を幕閣や有力大名への贈物としたことはあまりにも有名。山城来、大和手掻、志津兼氏、伊勢村正など古名工の作風にも挑戦して成功した忠広は、優技を以て鍋島侯に忠節を尽くしていた。
1321

銘 肥前国住藤原忠広 寛永八年八月日(最上大業物)

最上大業物

Tadahiro (The founder)

銘 肥前国住藤原忠広 寛永八年八月日(最上大業物)
 初代忠広は初め肥前国忠吉と銘し、元和十年に武蔵大掾を受領して忠広と改名した江戸初期を代表する名工。稀に見る武蔵大掾を冠しない作は、肥前刀を幕府や諸大名への贈答品とした肥前藩主鍋島勝茂が相手方に遠慮し、「肥前国住藤原忠広と計り打ち申すべき事」と指示したもの。極上の玉鋼を用い「きず之れ無き様、念を入れ」て打つよう厳命された。かくして精鍛された忠広の作はいずれも出来が優れ、「献上打」と称揚されている。
390

銘 肥前国忠吉

最上大業物

Tadayoshi

銘 肥前国忠吉
 肥前國忠吉は元亀三年の生まれ。その作は、山城国来國光等の古名刀を範に出来優れ、最上大業物に列せられているように切れ味優れたことから武家の信頼も高く、五字銘から肥前國忠吉(ごじただ)と称揚されている。
300

銘 肥前国住人忠吉

最上大業物

Tadayoshi

銘 肥前国住人忠吉
 江戸時代前期。肥前国。「肥前国忠吉」「肥前国住人忠吉作」。佐賀藩鍋島家の抱工。埋忠明寿門人。所謂住人忠吉銘の脇差。片手で打ち振るうに至便な寸法とし、棒樋を深々と刻して、重量の軽減を図っている。上品で端正な姿形はやはり山城にて修行した成果であろう。備中青江派に私淑した作風を示している。
1400

銘 肥前国忠吉(最上大業物)

最上大業物

Tadayoshi

銘 肥前国忠吉(最上大業物)
 初代忠吉は、慶長元年に、鍋島勝茂候の命により、京の埋忠明寿に作刀を学んでいる。優れた感性と技術によって鍛え上げられた作は、長義、左文字、広光、志津、手掻包永などを手本としていずれも古作への意を深めたもので、特に山城来を見定めて微塵に詰んだ地鉄に直刃を焼いた作風は、忠吉一門の代名詞となっている。
511

銘 陸奥大掾忠吉(最上大業物)

最上大業物

Tadayoshi (The 3rd)

銘 陸奥大掾忠吉(最上大業物)
 三代陸奥と尊称される三代肥前國忠吉は寛永十四年の生れ。家伝の小糠肌とも呼ばれる肥前刀独特の地鉄にさらなる工夫を加え、特に覇気ある造り込みを自らの特色としたが、わずか五十歳で早逝。作刀が確認されているのは万治三年に陸奥大掾を受領して以降没するまでの二十七年間。父の協力者としての立場を忽せにしなかったことから自身銘の刻された作は比較的少ない。
1255

平造脇差 銘 肥前國忠吉(初代) (最上大業物)

最上大業物

Tadayoshi (The founder)

平造脇差 銘 肥前國忠吉(初代) (最上大業物)
 五字忠吉こと肥前国忠吉初代は肥前藩祖鍋島勝茂侯に見出され、その命で慶長元年に上京し、埋忠明寿の許で更なる修業に励んだ。帰国した忠吉は佐賀城下長瀬町に屋敷を拝領し、鍋島侯の命で来国俊、手掻包永、志津兼氏、備前長義、伊勢村正等の古名刀を範に覇気ある作を手掛けた。
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