菊水花筏図鍔(鐔) 銘 越府之住善陳作 延宝三暦 初冬作
Yoshinobu
明珍、春田、長曽根など優れた甲冑工を輩出した越前国。善陳(よしのぶ)は明珍出身と伝えている。鍛えの良い地鉄は微細な石目地仕上げの竪丸形で耳は土手耳仕立て。場面展開が大和絵のようであり、その透し際の処理も洗練されている。周囲を軽く鋤いて紋様を際立たせ、桜花は陰と陽。桜の小透が甲冑師鐔を彷彿とさせるが、形は引き締まって端麗。肉置き豊かに膨らみ絞られる水の流れは流麗。ふっくらと花弁が際立つ菊花、中心を低く明確に葉脈を毛彫りした菊葉。文様風であると同時に彫金なればこその実体感がある。春の桜に秋の菊。単純に考えれば春秋を代表する美の競演「錦繍文」。少しひねくれて深読みすると不老長寿の象徴菊水伝説と浄土の象徴でもある吉野川の花筏。善陳は何を思っていたのだろうか。『刀装小道具講座』には、「延宝三年の年紀のあるものがあるというがこれは未見である」との記述があるが、本作が正にその年紀作である。「延宝三暦 初冬作 越府住善陳作」と鮮明に刻銘された本作は作者の特別な思いが伝わりくる貴重な一鐔である。
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山水図鍔(鐔) 銘 長州萩住友久作
Tomohisa
(注)長州鐔には山水図が多い。その源は室町時代の画聖雪舟にある。周防、長門、筑前、豊前、肥前を領有した守護大名大内氏の庇護により明国で水墨画を学んだ雪舟。帰国後は山口天花の雲谷庵に落ち着き「山水長巻」をはじめとする傑作を描いた。その画風は、西国随一の大名毛利輝元から雪舟流の復興を命じられた原治兵衛直治(後の雲谷等顔)に継承され雲谷派として幕末まで続いた。
どんな拵えにも合うと人気を博し、長州藩の経済を支える特産品でもあった鐔。そのほとんどが鉄製で鍛えの良い鉄味と艶のある深い錆色が身上だが、稀に本作のような赤銅地による入念作がある。青味を帯びた上質な赤銅磨地に展開するのは奇岩を背景とし、人々の営みを水辺に描いた山水図(注)。鐔としては大振りだが、手のひらに収まる大きさである。その中になんと豊かな世界があることか。作中の人物になってこの世界を探訪してほしい。空間にしっかりとした奥行きが感じられ、特に岸辺の描写が見事である。興味を惹かれるのは櫃穴脇にある奇岩である。大きな空洞があり、そこから湖面に立つ細波が見える。ここまではっきりと大きくはないがこれは雪舟の「山水長巻」にも描かれている。余談だが洞窟や岩に空いた穴、木の洞などが聖なる世界、または異界の入り口であるとする思想や宗教が中国や琉球、果てはケルトにもあったことが想起される。画面のそこここに雪舟の影響がうかがえる。強弱、濃淡、掠れ、滲み。筆によるそれを鏨で表現しようと技の限りを尽くした友久畢生の特別作である。
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百事如意図鍔(鐔) 銘 辛未冬月 洛北鷹峰居 幽斎安達雕 □□書 〔金印〕
Yusai
百合(若しくは百合根)と柿の実、霊芝を寄せたものを「百事如意」と呼び、全てが意のままであることを意味する。百合と柿の文字と音を「百事」に通わせ、霊芝は形が如意棒に似ていることからの取り合わせ。富岡鉄斎、滝和亭、椿椿山ら文人画家、南画家に も好まれた画題である。金工は概して多芸、多趣味で教養のある人が多い。安達幽斎も例に漏れず、書画を得意とし、謡曲、琵琶、弓術を嗜んだ。すべすべとした鉄磨地は一乗派特有の打ち返し耳で竪丸形に造り込まれ、耳そのものは中央を窪ませすっきりとした印象。表側に写実的な表現による高彫据紋象嵌の柿、百合根、霊芝が配されている。金銀素銅赤銅による彩が鮮やか。裏側は「百事如意」の文字が彫られている。安達幽斎は和田一真の高弟。
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遠山松透鍔(鐔)無銘 二子山
Futagoyama
可愛らしい茸のような小透( 蛇足であるが総数十三個)は、松である。これは「遠山松」といわれ、剣を構えた時に一本一本の木にとらわれないで山の全体を遠くから見るように相手を見るという柳生新陰流の教えを表す。鍛えの良い鉄地はほぼ真丸形。切羽台より耳の方が厚くなる中低の造り込み。小肉の付いた耳には所々小粒の鉄骨が表れている。柳生は尾張や大野、三代の桜山吉など、当時の尾張鐔工に鐔を作らせたと言われている。二子山と極められた本作。二子山岩田則亮は技量高く、写し物も得意とした。柳生写しも製作し、高い評価を得ている。本作も本歌に迫る作風を呈した優品である。
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波龍図鐔 銘 藻柄子入道宗典製 江州彦根住
Souten
手に持てばずっしりとした重みを感じる赤銅地は耳を含め全面に高低変化に富んだ波を彫り込んでいる。 金銀露象嵌の飛沫を撒き散らし、波頭が鬩ぎ合う大海原を悠然と龍が渡る。紋高く引き締まった体、鋭い爪、海をも飲み込む勢いで大きく開けられた口からは大気を揺るがすような咆哮が聞こえそうである。
製作当時から現在まで人気の高い宗典の作には大まかに分けて二様ある。最も多いのは鉄地肉彫地透に華やかな色絵象嵌を施し、パノラマ的視野で情景を彫描いたものである。
もう一方は板鐔に立体的かつ詳細な高彫象嵌色絵を展開するもので、この手のものは作品が少なく、また良作が多い。本作のような赤銅地のものは更に希少で、恐らくは依頼を受けて製作したものであろう、迫力満点の入念作である。
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史記 鴻門の会・樊噲図鍔(鐔) 印銘 常重
Tsuneshige(Nara school)
常重は奈良重次の門人で奈良利重の孫弟子。真鍮石目地撫角形の鐔に和漢の人物図を彫るを得意とした。鴻門の会で謀殺されようとしている劉邦を助け出そうと駆けつける樊噲を描いた本作が正に常重の真骨頂である。明るい真鍮地の全面に細かく石目を打ち施し、帳には雲龍を片切彫りと毛彫で描く。盾を抱きかかえて駆け付けた樊噲は耳から裏面にかけても展開する緻密な描写の鋤出高彫。秀でた額の奥の眼光鋭い眼差し、高い頬とそこからそよぐように広がる髭は繊細な毛彫。奥行きのある高彫は要所に金銀の色絵を配し、衣や毛沓それぞれの質感を的確に表している。単なる情景描写ではなく、誠実で豪胆な樊噲の人柄をも活き活きと彫描いている。同作中の傑出作と言い得る。
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文様(七宝繋文)透鍔(鐔)
Ko-tosho
円や楕円を上下左右、四方に重ねて作った文様を七宝繋文という。元は四方繋と呼ばれたものが仏教の七宝にかけて七宝繋文になったという説がある。四方に限りなく広がっていくことから繁栄を意味し、吉祥文として喜ばれ装束や器物に用いられた。その七宝文の一部を小透とした本作。全てを克明に表すのではなく、一部のみを見せて鑑賞者の想像力を求める心憎い手法である。俗な言い方をすれば「チラリズムの美学」であろうか。叩き締められ陰影深く表情豊かな地鉄は色合い黒々として鍛え良く、耳に向かってやや肉を落とす。視覚と触覚で実用の時代の厳しさと装飾への芽生えを感じたい。室町時代に使用されたそのままの無櫃の作で、まさに一刀一鐔を物語るものであろう。
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諫鼓鶏図透鐔 銘 江州彦根住 藻柄子宗典製
Soten
諫鼓とは、古代中国の聖天子堯が、その施政に関して諫言しようとする民衆に打たせるために設けた太鼓で、鶏は鶏鳴によって善政を促し、人々を覚醒させる想像上の鶏である。諫鼓鶏とは、君主が善政を施すので諫鼓を用いることもなく苔が生えてしまい、鳥が鼓の音に驚くこともないという、世の中が良く治まっていることのたとえである。 中心に松と竹を据え諫鼓の上に鶏が乗り、周囲では母鶏と雛が遊ぶ長閑な風景である。舞台美術を見るように奥行きを感じさせ、流れるように展開する宗典独特の空間構成はここでも健在である。立体的な肉彫りは、厚さや太さを明確に変えてメリハリをつけ、金銀素銅の本象嵌で色彩豊かに彩られている。表裏のちょっとした変化も面白い。地面を啄む銀の雛は裏面ではお尻がほんの少し見えているだけ。何とも愛らしく、作者の遊び心が感じられる。「諫鼓苔深く鳥驚かぬ」。天下泰平の象徴であり、またそれを希求する心の表れか。この図が刀の鐔にあるという事に意義がある。
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富士の巻狩図鐔 無銘 水戸
Mito
青味を帯びた上質の赤銅磨地の表裏を一連の場面として耳にまで彫刻を施し、詳細な高彫色絵で色彩豊かな立体絵巻物を現出させている。
彼方に雄大な富士、手前に走る瀬、笹竜胆紋の陣幕。源頼朝による富士の巻狩り図である。巻狩りは軍事訓練でもあった。征夷大将軍となった翌年、後白河法皇の一周忌が明けると、自らの武威を天下に知らしめるため、頼朝は盛んに巻狩りを行った。その中でも殊に有名なのが、「曽我兄弟の仇討」、「仁田四郎の猪退治」とエピソード満載の「富士の巻狩り」である。傘の内、騎乗の貴人は源頼朝。薙刀を手に控えるのは御厨五郎丸、弓を手挟んでいるのは工藤景光であろうか。頼朝の御前に畏まる二人は曽我兄弟であろう。これから始まる悲劇の序章のような一場面である。水戸金工の巧手打越弘寿の作であろう。
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月下牧童図鐔 銘 奈良正幸花押
Masayuki
江戸時代中期、横谷派と共に金工界の二大潮流となった奈良派。人物にしろ、動植物、風景にしろ、どこか郷愁を感じさせる温かみのある作風が特徴である。正幸はその奈良派の江戸時代中期に活躍した金工。牛の背に揺られ家路につく牧童。ふと仰ぎ見た先には雲間から覗く三日月。主を乗せた牛に目を転ずれば、何だかとても水が飲みたいようである。月の光を最もよく表現できる四分一地に銀を平象嵌した三日月。的確に特徴を捉えつつもくどさのない、いかにも奈良派らしいのびやかな線の松。肉置豊かな高彫の牧童も牛も詳細かつ丁寧な描写だが、見る者に緊張を強いることのない柔らかな雰囲気がある。要所に散らした下草の描写は安親のそれによく似ている。奈良派は、奈良三作と呼称される利壽、安親、乗意の三巨匠と、更には後の金工界に一大勢力を築き上げた政隨をも輩出している。
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230,000
芦雁透鍔(鐔) 銘 忠重作
Tadashige (Akasaka school)
肌鍛えと呼称される、鍛えた鉄の様子が表出された地造の技法がある。作為的な部分と偶然による思いがけない効果が生まれ、一種独特のニュアンスを表現に加えることができる。忠重もままこれを用いた。大振りで厚手、重量感のある鉄地は鍛え良く、細かな縞状の線が耳を廻り、やがて鐔の形なりに流れる。大気を表すかのような鍛えの線は、同時に額縁のように描かれた世界を強調する。肌鍛えの線と同調し、互いを追っているかのように展開する雁と芦。対象をそれとわかるぎりぎりまで簡潔に意匠化した陰透は洗練された彫口ですっきりとしている。茎穴の周囲には特徴のある寄鏨がありここも忠重の作品の見どころである。
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猛虎図鐔 銘 甲子初夏 六十六歳 南山
Nanzan
何故かはわからぬが、好んで虎を彫ったという赤文。その弟の 南山にも虎図が多い。赤文派の虎には数パターンの特徴がある。大きな体を持て余しているかのような困り顔で毛皮がダブダブした虎などは愛嬌があって眺めていると癒される。翻って本作は、特徴的な南山の虎である。強い輪郭線の内側に細かく毛彫を入れ、姿勢を低くし、盛り上がった肩、太い足はしっかりと岩を掴んでいる。金象嵌の眼光鋭く、開いた口からは鋭い牙と赤い舌が覗く。精悍で敏捷、正に猛虎である。耳を打ち返した薄手の地鉄は鍛え良く、槌目を施して抑揚を付け深山幽谷の雰囲気を醸し出している。
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280,000
李白観瀑図鐔 銘 南洋子暉真(花押)
Kishin
暉真はかつて酒井抱一と同一人物と誤認されていたこともある。抱一の字(あざな)が暉真だったことが原因であろうが、品格を感じさせる作風や独創性、技量の高さから真実味があったのであろう。大振りの朧銀磨地を端正な撫角形に仕立て、耳は浅い打ち返し。松の大木の下、立ち去りがたく振り返り、遥か上方の滝を仰ぎ見る人物は李白である。いつも傍に控えている酒壺を持った侍童はもう先に歩いて行ってしまったのだろうか。詩仙李白の有名な詩「望廬山観瀑」に因んだ「李白観瀑図」は装剣小道具に限らず好画題とされ幾つかのバリエーションが見られる。そのほとんどが一人、または侍童と共に滝に向って立っているもので、本作のように振り返っているものは珍しい。渓流の岩や水の表現に独特の鏨使いが見られ、ゆったりとした衣を纏った李白の高彫は、衣の中に確かに肉体があると感じられる。
特別保存
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海浜風景図鐔 銘 乙未春日 園部芳英花押
Yoshihide
潮の引いた砂地に露になった四爪の大きな鉄錨。赤銅魚子地になんと鉄高彫を象嵌しているのだ。一見後藤風を謹直に継承しているようで、芳英は形状や細部に独創とこだわりを見せる。得意の変り八角形は碁石のように耳に向かって肉を落とし、その耳には微細な魚子を撒き散らしている。魚子地は何か特殊な仕上げを施しているのかもしれない。青味を帯びた上質の赤銅磨地と魚子地を巧みに配した地造りに極めつけは鉄の象嵌である。帆柱が並ぶ波穏やかな船泊、よくある海辺の風景のようだが、彼方の島は伝説の蓬莱島(注)ではなかろうか。微細な点刻の底に金を施した光に包まれた島は松の木々に縁どられ、遠くの島影は素銅の消込象嵌。手前を飛ぶ鳥は高彫色絵、彼方の鳥は平象嵌と遠近に工夫がみられる。園部芳英は田中芳章門人の園部芳継を父に持ち、父同様に後藤流の格調高い精巧な彫法を得意としているが、鉄地の扱いにも長けていて優れた作を残している。本作は芳英のユニークな一面と技量の高さを余すところなく伝える優品である。
(注)古代中国の道教思想で、東の海上にあるとされた不老不死の仙人が住むという蓬莱島。これは筆者の主観で、芳英は遠くに霞んで見える富士山と海上の島を描いたのかもしれない。富士山は別名「不死山」ともいうが。
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朱買臣図鐔 銘 菊池重斯
Shigenori
上質な赤銅地を大振りな竪丸形に造り込み、耳にまで微細な魚子を打ち施した入念作。くっきりとした魚子地とそこから浮かび上がる赤銅磨地高彫の対比が面白い。空間構成の巧みさでゆったりと大らかな雰囲気が漂う。
柴を担ぎ歩きながら読書する姿は二宮尊徳を彷彿とさせるが、人物の出で立ちは中国のもの。この人は前漢武帝の時代の官僚朱買臣。生家は貧しかったが読書好きで、五十を過ぎてから役人として登用され、出世と挫折を繰り返し丞相長吏となった。「朱買臣五十富貴」といって大器晩成、 立身出世のたとえにされている。我が国においても室町時代に制作された伝狩野元信筆の「朱買臣図」(重要文化財)が有名。
笹が生い茂り、滝が流れ落ちる山中を歩きながら、ふと何かに気を取られ視線を投げたといった風情の朱買臣。肉高く抑揚のある高彫に時に鋭く削ぐような鏨が入る。裏面は、池に橋が掛かり、楼閣が聳える人間が理想とする世界を表している。 菊地重斯は、陸奥国会津住。また、上杉家の領地である隣国出羽国米澤の地名を冠した作もある。本作はおそらく彼の最高傑作であろう。
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400,000
枝梅図鐔 銘 慶応四辰歳 余月作之 応需中川一的鏨
Itteki
まだ寒気の残る中、百花に先駆けて咲く梅の花。屈曲して上へ上へと伸びる枝、丸く愛らしい花びら。独特の風情ある線刻は後藤一乗とその高弟一琴が得意とした甲鋤彫りである。抑揚のある耳際の打ち返しも一乗一派独特の形状。微細な石目地が早春の冷気を表している。他に一切の色金を用いない鉄地一色の空間に枝梅が浮かび上がり、記憶の中の馥郁たる香りが呼び覚まされる。一的は美作国(岡山県)津山の金工の名家中川家十代目の四男として生まれた。兄は中川一匠と正阿弥勝義である。兄一匠の縁で後藤一乗門となり、後に中川家十一代を襲い、松平家の抱工となった巧手である。
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900,000
窓桐透鍔(鐔) 銘 忠重作
Tadashige(Akasaka school)
鍛えの良い鉄地は大振りで厚みがあり、耳に向かって僅かに肉を落とす。黒味の強い錆色は落ち着きのある艶を湛え、耳に縞状の鍛えの跡を見せる。禅の思想から発展し、寺院建築や茶室に用いれた円窓。鐔を円窓に見立て、風景を切り取ったこの図は西垣勘四郎が得意としたもので、赤坂鐔工にも踏襲されている。軸をずらした桟を異なる太さで交差させ、画面に変化を与えている。力強い直線に柔らかで有機的な桐の曲線が好対照となり、硬軟絶妙なバランス感覚の実に洒落た作である。忠重は五代忠時の門人。赤坂鐔工の中で四代忠時以降最も技量優れ、作風も幅広く、一門の繁栄に大きな貢献をした。長寿であり、作品も多いが在銘作は意外に少なく貴重である。
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蕗葉に蜂図鍔(鐔)銘 出羽秋田住正阿弥傳七(伝七)
Denshichi
秋田正阿弥の鐔といえば誰しも先ず蕗葉透と倶利彫(ぐりぼり)を思い浮かべるのではないか。秋田正阿弥の始祖傳兵衛によって考案された蕗葉透鐔は葉の表を赤銅、裏を朧銀の昼夜造とした大胆な意匠と緻密で詳細な描写の傑作である。秋田名物の蕗は葉の直径が1.5メートル、茎の丈は長いもので2メートルにもなるという。蕗は音が富貴に通じ縁起が良い。さて、本作はどうであろう。朧銀地と赤銅地の葉を組み合わせ、葉の形なりの変り形である。朧銀地の葉は磨地と石目地仕上げで表裏を描き分け、茎と葉で形作った空間を小柄笄櫃とした洒落た造りである。葉脈は金象嵌。層状になった虫喰い跡が面白い。葉に抱き込まれるように一匹の蜂が高彫されている。摺りへがし風の金象嵌色絵が古調を帯び、翅においては透明感を演出している。ところで、これは本当に蕗であろうか。蓮の可能性はないのか。蓮の別名は「はちす」である。蜂をかけた言葉遊びかもしれない。また、蕗だとしたら、蕗の中国名と漢方の生薬名は「蜂斗菜」というのだそうだ。この名が江戸時代どれほど浸透していたか定かではないが、どちらの葉だとしても蜂に関係があるのは偶然か。傳七に聞いてみたいものだ。正阿弥傳七は伝兵衛、伝内に続く秋田正阿弥派の三代目で、初二代同様秋田藩主佐竹家の藩工として活躍した。江戸へ出府し、晩年の安親の弟子となり四年間修業してもいる。技量、感性共に優れ、「草廬三顧図鐔」を筆頭に数々の傑作を遺している。本作も見れば見るほど味わい深い鐔である。
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七夕図鍔(鐔) 銘 春明法眼花押 嘉永辛亥初秋
Haruaki
夕映えの空を思わせる素銅磨地。撫角形の中央を絞った印象深い造形はどことなく糸巻にも似て、鐔全体で織姫を連想させる。打ち返し耳に敢えてかかるように三日月を配し、わずかに鋤き出して石目地を施した橋の傍らに二羽の飛翔する鵲を赤銅地高彫象嵌して七夕伝説を表した、春明の心憎い洒落た画面構成である。春明は柳川直春の門人。独立後はたびたび東北を訪れ、出張制作をした。漂泊の俳人、絵師など地方の裕福な商人や地主などに請われ、その土地へ赴いて制作または指導をした松尾芭蕉や与謝蕪村のように、春明もまた北国へ赴いたのであろうか。旅による制作への刺激も多かったことだろう。会津金工の明義や明周、田辺伴正、田辺明伴、大石明親など優れた門人も養成した。晩年の弘化、嘉永頃は越後地方を遊歴。嘉永辛亥(1851年)初秋と刻された本作は越後にて制作されたものであろう。
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化粧道具図透鐔 無銘 京正阿弥
Kyo-Shoami
鍛えの良い深い錆色の鉄地を真丸形に造り込み、切羽台を斜めに横切って鏡台を配し、周囲に化粧道具箱、盥、鏡を肉彫り地透かしとした洒落た感覚の鐔。京正 阿弥の技を駆使した華やかな布目象嵌が目を引く。化粧は女性のみがしたもの、と思ってはいないだろうか。実は戦国時代の武士は化粧をすることがあった。権威や身分の高さを示すため、豪胆で勇猛果敢に見せるためである。有名な『おあむ物語』では討ち取った首の身分を高く見せるため少女達が化粧を施す場面が語られている。それはさておき、本作は立体感のある肉彫りで器物の表と裏をしっかりと描いている。特に盥と化粧箱の円やかな曲面は見事。鏡には三ツ巴紋が銀象嵌されている
(昭和47年発行の特別貴重刀装具認定書では無銘 正阿弥一郎兵衛政徳と鑑定されている。)
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埋木図鐔 銘 光忠
Mitsutada
本作はあたかも埋木を地中から掘り出し、磨き上げたかのような鐔である。量感のある赤銅地のごつごつとした土手耳、美しい木理を鋤下彫と毛彫で表し、切羽台には鏨運びに特徴のある二字銘が刻まれている。半ば炭化した埋もれ木は工芸品や燃料として用いられたが、反面、世間から顧みられなくなった人の喩にも使われる。幕末の大老井伊直弼がまだ捨縁であった若き日の居所は「埋木舎」といった。果たしてこの鐔にはどんな意味が込められているだろう。この光忠は、銘形は古埋忠の光忠に似ているところもあるが、作風が異なる。それにしてもユニークな感性とそれをまとめ上げる力を持った金工であったことは間違いない。
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