芦雁透鍔(鐔) 銘 忠重作
Tadashige (Akasaka school)
肌鍛えと呼称される、鍛えた鉄の様子が表出された地造の技法がある。作為的な部分と偶然による思いがけない効果が生まれ、一種独特のニュアンスを表現に加えることができる。忠重もままこれを用いた。大振りで厚手、重量感のある鉄地は鍛え良く、細かな縞状の線が耳を廻り、やがて鐔の形なりに流れる。大気を表すかのような鍛えの線は、同時に額縁のように描かれた世界を強調する。肌鍛えの線と同調し、互いを追っているかのように展開する雁と芦。対象をそれとわかるぎりぎりまで簡潔に意匠化した陰透は洗練された彫口ですっきりとしている。茎穴の周囲には特徴のある寄鏨がありここも忠重の作品の見どころである。
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猛虎図鐔 銘 甲子初夏 六十六歳 南山
Nanzan
何故かはわからぬが、好んで虎を彫ったという赤文。その弟の南山にも虎図が多い。赤文派の虎には数パターンの特徴がある。大きな体を持て余しているかのような困り顔で毛皮がダブダブした虎などは愛嬌があって眺めていると癒される。翻って本作は、特徴的な南山の虎である。強い輪郭線の内側に細かく毛彫を入れ、姿勢を低くし、盛り上がった肩、太い足はしっかりと岩を掴んでいる。金象嵌の眼光鋭く、開いた口からは鋭い牙と赤い舌が覗く。精悍で敏捷、正に猛虎である。耳を打ち返した薄手の地鉄は鍛え良く、槌目を施して抑揚を付け深山幽谷の雰囲気を醸し出している。
特別保存
280,000
李白観瀑図鐔 銘 南洋子暉真(花押)
Kishin
暉真はかつて酒井抱一と同一人物と誤認されていたこともある。抱一の字(あざな)が暉真だったことが原因であろうが、品格を感じさせる作風や独創性、技量の高さから真実味があったのであろう。大振りの朧銀磨地を端正な撫角形に仕立て、耳は浅い打ち返し。松の大木の下、立ち去りがたく振り返り、遥か上方の滝を仰ぎ見る人物は李白である。いつも傍に控えている酒壺を持った侍童はもう先に歩いて行ってしまったのだろうか。詩仙李白の有名な詩「望廬山観瀑」に因んだ「李白観瀑図」は装剣小道具に限らず好画題とされ幾つかのバリエーションが見られる。そのほとんどが一人、または侍童と共に滝に向って立っているもので、本作のように振り返っているものは珍しい。渓流の岩や水の表現に独特の鏨使いが見られ、ゆったりとした衣を纏った李白の高彫は、衣の中に確かに肉体があると感じられる。
特別保存
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海浜風景図鐔 銘 乙未春日 園部芳英花押
Yoshihide
潮の引いた砂地に露になった四爪の大きな鉄錨。赤銅魚子地になんと鉄高彫を象嵌しているのだ。一見後藤風を謹直に継承しているようで、芳英は形状や細部に独創とこだわりを見せる。得意の変り八角形は碁石のように耳に向かって肉を落とし、その耳には微細な魚子を撒き散らしている。魚子地は何か特殊な仕上げを施しているのかもしれない。青味を帯びた上質の赤銅磨地と魚子地を巧みに配した地造りに極めつけは鉄の象嵌である。帆柱が並ぶ波穏やかな船泊、よくある海辺の風景のようだが、彼方の島は伝説の蓬莱島(注)ではなかろうか。微細な点刻の底に金を施した光に包まれた島は松の木々に縁どられ、遠くの島影は素銅の消込象嵌。手前を飛ぶ鳥は高彫色絵、彼方の鳥は平象嵌と遠近に工夫がみられる。園部芳英は田中芳章門人の園部芳継を父に持ち、父同様に後藤流の格調高い精巧な彫法を得意としているが、鉄地の扱いにも長けていて優れた作を残している。本作は芳英のユニークな一面と技量の高さを余すところなく伝える優品である。
(注)古代中国の道教思想で、東の海上にあるとされた不老不死の仙人が住むという蓬莱島。これは筆者の主観で、芳英は遠くに霞んで見える富士山と海上の島を描いたのかもしれない。富士山は別名「不死山」ともいうが。
特別保存
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朱買臣図鐔 銘 菊池重斯
Shigenori
上質な赤銅地を大振りな竪丸形に造り込み、耳にまで微細な魚子を打ち施した入念作。くっきりとした魚子地とそこから浮かび上がる赤銅磨地高彫の対比が面白い。空間構成の巧みさでゆったりと大らかな雰囲気が漂う。
柴を担ぎ歩きながら読書する姿は二宮尊徳を彷彿とさせるが、人物の出で立ちは中国のもの。この人は前漢武帝の時代の官僚朱買臣。生家は貧しかったが読書好きで、五十を過ぎてから役人として登用され、出世と挫折を繰り返し丞相長吏となった。「朱買臣五十富貴」といって大器晩成、 立身出世のたとえにされている。我が国においても室町時代に制作された伝狩野元信筆の「朱買臣図」(重要文化財)が有名。
笹が生い茂り、滝が流れ落ちる山中を歩きながら、ふと何かに気を取られ視線を投げたといった風情の朱買臣。肉高く抑揚のある高彫に時に鋭く削ぐような鏨が入る。裏面は、池に橋が掛かり、楼閣が聳える人間が理想とする世界を表している。 菊地重斯は、陸奥国会津住。また、上杉家の領地である隣国出羽国米澤の地名を冠した作もある。本作はおそらく彼の最高傑作であろう。
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400,000
枝梅図鐔 銘 慶応四辰歳 余月作之 応需中川一的鏨
Itteki
まだ寒気の残る中、百花に先駆けて咲く梅の花。屈曲して上へ上へと伸びる枝、丸く愛らしい花びら。独特の風情ある線刻は後藤一乗とその高弟一琴が得意とした甲鋤彫りである。抑揚のある耳際の打ち返しも一乗一派独特の形状。微細な石目地が早春の冷気を表している。他に一切の色金を用いない鉄地一色の空間に枝梅が浮かび上がり、記憶の中の馥郁たる香りが呼び覚まされる。一的は美作国(岡山県)津山の金工の名家中川家十代目の四男として生まれた。兄は中川一匠と正阿弥勝義である。兄一匠の縁で後藤一乗門となり、後に中川家十一代を襲い、松平家の抱工となった巧手である。
特別保存
900,000
窓桐透鍔(鐔) 銘 忠重作
Tadashige(Akasaka school)
鍛えの良い鉄地は大振りで厚みがあり、耳に向かって僅かに肉を落とす。黒味の強い錆色は落ち着きのある艶を湛え、耳に縞状の鍛えの跡を見せる。禅の思想から発展し、寺院建築や茶室に用いれた円窓。鐔を円窓に見立て、風景を切り取ったこの図は西垣勘四郎が得意としたもので、赤坂鐔工にも踏襲されている。軸をずらした桟を異なる太さで交差させ、画面に変化を与えている。力強い直線に柔らかで有機的な桐の曲線が好対照となり、硬軟絶妙なバランス感覚の実に洒落た作である。忠重は五代忠時の門人。赤坂鐔工の中で四代忠時以降最も技量優れ、作風も幅広く、一門の繁栄に大きな貢献をした。長寿であり、作品も多いが在銘作は意外に少なく貴重である。
特別保存
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蕗葉に蜂図鍔(鐔)銘 出羽秋田住正阿弥傳七(伝七)
Denshichi
秋田正阿弥の鐔といえば誰しも先ず蕗葉透と倶利彫(ぐりぼり)を思い浮かべるのではないか。秋田正阿弥の始祖傳兵衛によって考案された蕗葉透鐔は葉の表を赤銅、裏を朧銀の昼夜造とした大胆な意匠と緻密で詳細な描写の傑作である。秋田名物の蕗は葉の直径が1.5メートル、茎の丈は長いもので2メートルにもなるという。蕗は音が富貴に通じ縁起が良い。さて、本作はどうであろう。朧銀地と赤銅地の葉を組み合わせ、葉の形なりの変り形である。朧銀地の葉は磨地と石目地仕上げで表裏を描き分け、茎と葉で形作った空間を小柄笄櫃とした洒落た造りである。葉脈は金象嵌。層状になった虫喰い跡が面白い。葉に抱き込まれるように一匹の蜂が高彫されている。摺りへがし風の金象嵌色絵が古調を帯び、翅においては透明感を演出している。ところで、これは本当に蕗であろうか。蓮の可能性はないのか。蓮の別名は「はちす」である。蜂をかけた言葉遊びかもしれない。また、蕗だとしたら、蕗の中国名と漢方の生薬名は「蜂斗菜」というのだそうだ。この名が江戸時代どれほど浸透していたか定かではないが、どちらの葉だとしても蜂に関係があるのは偶然か。傳七に聞いてみたいものだ。正阿弥傳七は伝兵衛、伝内に続く秋田正阿弥派の三代目で、初二代同様秋田藩主佐竹家の藩工として活躍した。江戸へ出府し、晩年の安親の弟子となり四年間修業してもいる。技量、感性共に優れ、「草廬三顧図鐔」を筆頭に数々の傑作を遺している。本作も見れば見るほど味わい深い鐔である。
特別保存
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七夕図鍔(鐔) 銘 春明法眼花押 嘉永辛亥初秋
Haruaki
夕映えの空を思わせる素銅磨地。撫角形の中央を絞った印象深い造形はどことなく糸巻にも似て、鐔全体で織姫を連想させる。打ち返し耳に敢えてかかるように三日月を配し、わずかに鋤き出して石目地を施した橋の傍らに二羽の飛翔する鵲を赤銅地高彫象嵌して七夕伝説を表した、春明の心憎い洒落た画面構成である。春明は柳川直春の門人。独立後はたびたび東北を訪れ、出張制作をした。漂泊の俳人、絵師など地方の裕福な商人や地主などに請われ、その土地へ赴いて制作または指導をした松尾芭蕉や与謝蕪村のように、春明もまた北国へ赴いたのであろうか。旅による制作への刺激も多かったことだろう。会津金工の明義や明周、田辺伴正、田辺明伴、大石明親など優れた門人も養成した。晩年の弘化、嘉永頃は越後地方を遊歴。嘉永辛亥(1851年)初秋と刻された本作は越後にて制作されたものであろう。
特別保存
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化粧道具図透鐔 無銘 京正阿弥
Kyo-Shoami
鍛えの良い深い錆色の鉄地を真丸形に造り込み、切羽台を斜めに横切って鏡台を配し、周囲に化粧道具箱、盥、鏡を肉彫り地透かしとした洒落た感覚の鐔。京正 阿弥の技を駆使した華やかな布目象嵌が目を引く。化粧は女性のみがしたもの、と思ってはいないだろうか。実は戦国時代の武士は化粧をすることがあった。権威や身分の高さを示すため、豪胆で勇猛果敢に見せるためである。有名な『おあむ物語』では討ち取った首の身分を高く見せるため少女達が化粧を施す場面が語られている。それはさておき、本作は立体感のある肉彫りで器物の表と裏をしっかりと描いている。特に盥と化粧箱の円やかな曲面は見事。鏡には三ツ巴紋が銀象嵌されている
(昭和47年発行の特別貴重刀装具認定書では無銘 正阿弥一郎兵衛政徳と鑑定されている。)
特別保存
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埋木図鐔 銘 光忠
Mitsutada
本作はあたかも埋木を地中から掘り出し、磨き上げたかのような鐔である。量感のある赤銅地のごつごつとした土手耳、美しい木理を鋤下彫と毛彫で表し、切羽台には鏨運びに特徴のある二字銘が刻まれている。半ば炭化した埋もれ木は工芸品や燃料として用いられたが、反面、世間から顧みられなくなった人の喩にも使われる。幕末の大老井伊直弼がまだ捨縁であった若き日の居所は「埋木舎」といった。果たしてこの鐔にはどんな意味が込められているだろう。この光忠は、銘形は古埋忠の光忠に似ているところもあるが、作風が異なる。それにしてもユニークな感性とそれをまとめ上げる力を持った金工であったことは間違いない。
特別保存
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