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August 26, 2022 at 1:16:10 AM

Terao
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刀工 川井久幸の面影を訪ねて  (文京区水道の街並みを探訪…という名のグルメレポート)

(関連リンク)

両鎬袋槍 銘 川井久幸作 文久三年二月日 宗寛鍛之

脇差 銘 一宗寛造之 慶應二年八月日

刀 銘 泰龍斎宗寛造之 安政二乙卯年八月日

【久幸と宗寛の合作の槍】

先日サイトにてご紹介しました、両鎬袋槍 銘 川井久幸作 文久三年二月日宗寛鍛之。
銘からもお分かり頂けるように、この槍は江戸後期の刀工、川井久幸と泰龍斎宗寛、二人の工による合作の槍です。

動画をご覧いただいた方はご存じと思いますが、幕臣だった久幸は、江戸城から北西へおおよそ6キロの小日向竹島町(東京都文京区水道二丁目5)に住していた記録が残されております。
(ちなみに本作のもう一人の作者、古河藩工だった泰龍斎宗寛は、古河藩邸のあった日本橋箱崎(現箱崎ジャンクション付近)で作刀をしていたと思われます。)


令和四年の現在からさかのぼること159年。
今風にいうと、「聖地巡礼」と言ったところでしょうか?
川井久幸の生きた時を妄想…もとい、想いを巡らせつつ、現地を巡ってみました。

川井久幸 槍
【久幸と宗寛の合作の槍】
先日サイトにてご紹介しました、両鎬袋槍 銘 川井久幸作 文久三年二月日宗寛鍛之。
銘からもお分かり頂けるように、この槍は江戸後期の刀工、川井久幸と泰龍斎宗寛、二人の工による合作の槍です。

動画をご覧いただいた方�はご存じと思いますが、幕臣だった久幸は、江戸城から北西へおおよそ6キロの小日向竹島町(東京都文京区水道二丁目5)に住していた記録が残されております。
(ちなみに本作のもう一人の作者、古河藩工だった泰龍斎宗寛は、古河藩邸のあった日本橋箱崎(現箱崎ジャンクション付近)で作刀をしていたと思われます。)


令和四年の現在からさかのぼること159年。
今風にいうと、「聖地巡礼」と言ったところでしょうか?
川井久幸の生きた時を妄想…もとい、想いを巡らせつつ、現地を巡ってみました。

【久幸ゆかりの地へ】

川井久幸の旧宅地の小日向水道の最寄り駅は、東京メトロ有楽町線「江戸川橋駅」。(出口は4番)

メトロの出口を出ると目の前に目白通りその上を走る高架(首都高速5号)、そしてそのすぐ奥に神田川が流れています。
メトロ出口から右に二つ目の橋が、久幸旧宅の存在していた石切橋区域になります。

そして、旧小日向竹島町の川井久幸旧宅区画(現文京区水道二丁目5)へ。
実際その地に立ってみて、その日の風や空気を感じてみると、
160年ほど前、実際にこの地で刀を打ち生活をしていた川井久幸という人間が存在したんだという事実に、俄然リアリティがわいてきます。

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