商品のご案内 刀 銘 常陸国水戸白旗山住徳兼作之 安政六年八月日
元日の能登半島を襲いました地震により被災された皆様には
心よりのお見舞いを申し上げます。
刀 銘 常陸国水戸白旗山住徳兼作之 安政六年八月日
Katana: Sig. Hitachi no kuni Mito Shirohatayama ju NORIKANE kore wo tsukuru
Ansei 6 nen 8 gatsujitsu
―安政の大獄何するものぞ!水戸の熱き血潮滾る雄刀―
徳兼は関内徳宗の子で、文政十二年水戸の生まれ。同門の勝村徳勝や水戸藩士ながら鍛刀した山本信義等と技術を磨いたのみならず、江戸では備前伝の名手固山宗次にも学んだ。水戸といえば藩主徳川斉昭(烈公)も自ら作刀していることは余りにも有名。常陸沖には時折異国船が出没していることから、烈公は欧米の軍事力に対抗するべく洋式大砲製造のために反射炉を建造し、水戸城下の八幡社西に武器製作所を設けて鍛刀させたのであった。
棒樋が深く掻かれて尚手持ちが極めて重い威圧的な姿に、刃文は互の目に丁子を交えて高低変化し、焼頭に降り積もった白雪のような明るい沸が刃中に零れて足となり、匂が立ち込めて刃中は澄みわたり、鋭い刃味の程を窺わせる。
松尾芭蕉 おくのほそ道
奥の細道拵の謎 なぜ千年の古碑を無視?那須国造碑
銀座長州屋YouTubeチャンネルにて公開中。
今回からシリーズで歴史と文学が刀剣(刀装)と融合した、珍しい拵をご紹介してまいります。
「月日は百代の過客にして 行かふ年も又旅人也」
有名な書き出しで始まる松尾芭蕉の『奥の細道』。俳聖松尾芭蕉がみちのくへの旅を綴った、文学史に燦然と輝く紀行文です。
今回採り上げるこの脇差拵、鐔には塩竃神社の文治の灯籠、頭には多賀城の石碑・・・と、芭蕉が『奥の細道』で訪れた、奥州街道に点在する名所の数々が拵金具のモチーフとして散りばめられた、実に面白い趣向の脇差拵となっております。
まるでこの拵の所持者が旅の思い出を拵に刻み付けたかのよう…。
そして、縁に刻まれているのは、下野国(現栃木県)黒羽近くの、笠石神社の御神体とされている那須国造碑の碑文なのですが・・・・。
実はこの笠石の石碑、芭蕉は『奥の細道』では訪れていないのです。
那須~黒羽周辺には比較的時間を多く費やしていたにも関わらす…。
周辺の那須神社や雲巌寺で深い感慨に浸っていた芭蕉が、何故ここをスルーしてしまったのか?
シリーズ「奥の細道拵」第一回は、この芭蕉未踏の地、笠石の石碑をモチーフとした縁にスポットを当てて行きます。
月刊『銀座情報』2024年12月号(458号)
11/16発売
Web公開中
月刊『銀座情報』2025年1月号
12/16発売予定 Webの公開は12/23を予定しております。
最終回です
お問合せご注文は メール/電話/Fax にて承っております。
商品検索のページが出来ました。 (小道具) ご利用下さいませ。
商品検索のページが出来ました。
(刀)
ご利用下さいませ。
Comments