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諸葛孔明天下三分計を示す図縁頭 銘 利寿(花押)

Toshinaga(Nara school)

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Shokatsu Koumei is explaining for "Sanbun war plan"

江戸中期 
武蔵国江戸本所馬場町
赤銅石目地高彫色絵
縁三八㍉ 頭三四・四㍉ 
重要刀装具

Mid Edo period
Musashi province, Edo
Shakudo
Kashira: 34.4mm
Fuchi: 38mm

Juyo Tsosogu

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円(税込)

縁頭

974

 白狼山の戦いで河北(黄河の北岸地域)を平定した曹操は、中原地方(黄河流域を中心とする北方地域)に強大な力を示し、さらに中国全土を目指して南下の動きを強めていた。南の揚州には三代に亘って信頼を築いている孫権がいることから、劉備と、その遠縁に当たる荊州の劉表や益州の劉璋は、これら周囲の動きに敏感にならざるを得ない状況であった。
 その頃、劉備は荊州の劉表の軍門に客分としてあり、新野城を居城としていた。荊州は軍事的な要衝であり、曹操もまた狙いを定めている地。
 この時期、関羽や張飛といった武勇の志士や集まり来た多くの兵を手にしながらも、漢王朝再興を願う劉備には曹操と戦う良策が見出せない状況であった。そこで劉備は自らの頭脳となる軍師が必要であると考え、司馬徽と徐庶を介して隆中の山裾に隠れ棲む諸葛孔明を知ることとなる。
 この折、劉備が孔明を三度訪ねた末に軍師として迎えたことは『三顧の礼』でも良く知られており、装剣小道具では、関羽と張飛を従えた劉備が、凍て付くような雪の中に佇み、じっと孔明を待つ図とされている。
 一方、孔明もまた、自らの策を実現し得る力を持ってしかも信頼できる武人を探し求めていた。両者の出会いは偶然ではなかった。自らの草庵に幾度も足を運んでくれた劉備に対し、孔明は『天下三分の計』を説く。劉備はその壮大で緻密な世情分析に驚き、明晰な頭脳と知識を自らの力にしたいと願った。
 もちろん目指すところは三国鼎立ではなく、曹操を倒した上での漢王朝の再興に他ならない。強大な力を持って北にある曹操の存在は動かしがたい現実。これと対等に戦うためには揚州の孫権と手を組むことが最も良策。軍事的経済的な拠点でもある荊州と、豊穣な土地ながら優れた統治者のいない益州を安定した力を持つ国にすることで、南下しつつある曹操を抑えることが可能となる。孔明の理論は、劉備なしでは実現できないものでもあった。因みに、後の荊州赤壁の戦いでの勝因は、孔明の頭脳戦によるものであったことが語り継がれている。三国バランス政策、『天下三分の計』は、劉備だけでなく孔明も想い描いていた漢王朝再興への通過点に他ならないのである。
この縁頭は、孔明が自らの策『天下三分の計』を劉備に示している場面。その詳細に記された巻物を大きく広げて見入る劉備と張飛を前に、劉備の人物そのものを推し量ろうとじっと見つめる孔明を彫り描いている。壮大な三国志物語の最も重要な、同じ目的へと向かいながらも異なる立場にあった両者をひとつにする瞬間を題に得たのは奈良利寿。利壽の縁金具は比較的腰が低い。狭い画面ながら赤銅地を奈良派独特の地斑状石目地に仕上げ、人物の身体の動きまで正確に捉えて写実的な高彫に金銀素銅の色絵を施し、精密な鏨を加えて歴史的場面を再現している。
巻物を広げ、策略の緻密さと深い読みからなる内容に驚き、目を丸くする特徴的な鷲鼻の張飛に対し、厳しい視線を投 げかけ、一文字一文字確かめるように読み込んでいるのが劉備。僅か一寸に満たない縁頭という画面に、衣服の揺れからなる身体と手の動き、皮膚感、さらに目の動き、顔つきと、三者の性格までも彫り表わしている。
 このような歴史背景を鮮明にする人物描写こそ江戸に栄えた奈良派の特性。土屋安親、杉浦乗意と共に奈良三名人と謳われた利寿の持ち味が、本作においても細部に亘って表出されている。
利寿は太兵衛と称し利治の門人で寛文七年の生まれ。三国志や源平合戦など歴史に取材した人物図を得意とし、寿老人などの福神、猛虎や獅子のような霊獣を彫り描き、雉子や軍鶏など鄙びた中にも生命感の溢れる図も遺している。
諸葛孔明天下三分計を示す図縁頭 銘 利寿(花押)
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