Copy right Ginza Choshuya

検索には常用漢字をご利用ください。
​ 日本刀販売専門店銀座長州屋所蔵の槍・薙刀・その他の商品案内ページです。ご興味のある作品がございましたら、お気軽にお知らせください。

Hiroyoshi

 戦国期の伯耆国倉吉において三田(見田)五郎左衛門家と共に栄えたのが道祖尾(さいのお)家勘助広賀。茎の鑢目は平地は勝手下り鑢、鎬地は筋違鑢となり、文安年間頃(1444~1449)の相州広正に似る。

広賀

Masakuni

 室町時代後期。肥後国。肥後同田貫派は猛将加藤清正に仕えた刀工一門。分けても、正国は同田貫派が誇る筆頭鍛冶。朝鮮出兵に際して清正と同行し、戦場で刀の補修や鍛造に従事した逸話は夙に人口に膾炙している。重ね厚く威力を秘めた姿に荒ぶる武者の姿を思い描くことができる。

正国

Nagatsugu

江戸時代初期 承応頃 加賀国。 文化芸術の振興に尽力した前田家は領内の刀鍛冶中より、優秀者を二十二名選び、藩祖前田利家の菩提寺瑞龍寺に同数の刀剣類を奉納している。長次はその中の一人。大振りで棟の肉を削いだ姿形は豪壮無比、文化の香り高い加賀百万石のイメージはなく、むしろ戦国時代の厳しさを全面に押し出しての作刀である。芸術文化に藩をあげて取り組む一方、練武の志を忘れぬ利長の深慮遠謀を示すような遺例。

長次

Sukesada

 室町時代。備前国。室町時代の備前刀最大の門流にして、彦兵衛尉、源兵衛尉、与三左衛門尉祐定左衛門尉など数々の名工を擁して、戦国武将の求めに応じたのが祐定家。二重刃に豊かな沸が付いた貴重な剣の遺例。

祐定

Tsunatoshi

 加藤綱俊は加藤八郎と称し、生国が出羽国米沢。水心子正秀の門下で腕を磨き、米沢藩上杉家の抱工として江戸麻布飯倉片町の藩邸に鍛冶場を定めた。表題の大小一腰は、脇差が文化十三年紀で、この年綱俊は弱冠十九歳。師が得意として最も華やかな作風である津田助廣流の濤瀾乱刃に挑み、見事に成功している。

綱俊

Kanemoto

 室町時代後期。美濃国。「濃州関兼元」「兼元」。孫六。兼元二代。初代兼元の子。大永二年から享禄二年(1522~1529)にかけての年紀作がある。切れ味の良さで知られ、最上大業物に列せられている。「関の孫六」と称され、古来より賞玩されている。

兼元

Masanobu(Mihara)

 三原正信は南北朝時代末期から室町初期応永頃の三原鍛冶を代表する存在。個銘極め(三原正信)の作品は出来口の優れた優刀を多く見る。

正信

Sukekane

 江戸時代後期 備前国。横山祐盛の養子にして、義兄に加賀介祐永を持つ横山俊左衛門祐包は復古の気運に乗じて友成五十八代孫を名乗り、日本刀伝統の地、長船の地に留まって一人気を吐いた気骨ある刀匠。匂口締まった拳形丁子を淀みなく焼き上げる手腕は流石に完成度が高い。

祐包

Tadahiro

 近江大掾忠広は肥前国鍋島家に仕えた忠吉家の二代目で、慶長十九年の生まれ。父の初代忠吉が晩年に武蔵大掾を受領して用いた忠広銘を寛永九年に襲い、一門が目指していた古作山城物の再現に取り組んで綺麗な小板目鍛えを生み出し、江戸期における作刀文化の中心の一つとなった。

忠広

Yasumichi

 室町後期 備前国。美濃赤坂千手院派の康道の、完存稀有な好資料の一口。「古今鍛冶尽」によれば、美濃千手院派の祖は大和鍛冶で、美濃に往来したのは南北朝時代後期。赤坂の居住地を切る工は国長をもって嚆矢とし、作風は藤島に似ると伝える。この小太刀はこの国長の流れを汲む明応頃の康道である。

康道

Kunimichi

 出羽大掾国路は堀川国廣の門人中屈指の実力と人気を誇る刀工。慶長十八年に出羽大掾を受領。三品派とも交流し、多くの優品を遺している。特に、将軍家綱の命で生誕した祇園社御神宝の大太刀と剣は世に知られる彼の代表作である。

国路

Masatsune

 相模守政常は戦国時代末期から慶長頃を活躍期とした尾張の刀工。太閤子飼いの猛将福島正則に仕え、天正十九年に相模守を受領。槍造りの名手としても名高く、遺作中には福島正則の為に精鍛した「進上福嶋掃部守様十本内」の切銘のある平三角槍が知られている。

政常

Sukenaga

 祐永は横山覚之介といい、奥元平門の父祐平に就いて鍛冶業を修め、文政十二年十二月に父の跡目を継ぎ、天保四年二月十三日に加賀介を受領。茎に朝臣号、菊紋、一文字を刻するを勅許されている。鎌倉期の備前一文字を想わせる腰反りの強い優美な姿に華麗な丁子乱刃を焼いた遺作はいずれも出来が優れ、誠心誠意の働きが賞されて、藩より帯刀を許され、長舩の大庄屋格に列せられた名士でもあった。

祐永

Tadahiro

 近江大掾忠広は肥前国鍋島家に仕えた忠吉家の二代目。寛永十八年には近江大掾を受領。その作品は、姿、地鉄、焼刃総てが美しいだけでなく大業物に列せられているように斬れ味にも優れており、父の作と共に鍋島家から他国大名家への贈刀とされたほどに高い信頼を受けていた。

忠広

Yoshisuke

 義助は駿河国島田を代表する刀工で、戦国時代には武将今川氏に仕えた名流。江戸時代以降も栄え、慶長、元和頃の五代清兵衛広助が活躍し、以後寛永、寛文、延宝、享保、延享、明和と十一代まで続いている。

義助

Masahiro

 江戸時代初期 肥前国。通称左伝次郎。寛永元年忠吉を襲名、同二年より正広の名を鍋島公より賜る。寛文五年行年五十九才没。銘文の「廣」の画数に見所あり、四代正広に比して横棒の画数が一本少なくなる。

正広

Munetsugu(Miyakawa Munetsugu)

 宮川宗次は源清麿の兄山浦真雄の弟子で、後に宗継と改銘。師真雄が剣術家の立場から心血を注いで開発した山浦伝の地刃美麗なる刀は、信州松代藩の過酷な荒試しにも耐えて精強振りを見せつけている。その向槌を勤めて技術を会得した宗次は、業成って慶応二年に筑前守を受領している。

宗次(宮川宗次)

Sukenaga

 祐永は横山覚之介といい、奥元平門の父祐平に就いて鍛冶業を修め、文政十二年十二月に父の跡目を継ぎ、天保四年二月十三日に加賀介を受領。茎に朝臣号、菊紋、一文字を刻するを勅許されている。鎌倉期の備前一文字を想わせる腰反りの強い優美な姿に華麗な丁子乱刃を焼いた遺作はいずれも出来が優れ(注)、誠心誠意の働きが賞されて、藩より帯刀を許され、長舩の大庄屋格に列せられた名士でもあった。本作は大小一腰の小刀。

祐永

Takada

 新刀高田派には統行や統景など「統」の一字を冠する刀工が多い。いずれも古刀期より連綿と続く歴史ある門流で、一般的に古刀期は平高田、新刀期は藤原高田と呼び慣わしている。

高田(藤原高田)

Ginza
Choshuya

日本刀専門店

月曜日ー土曜日 
9:30−17:30

〒104-0061 東京都中央区銀座3−10−4

電話番号 : 03-3541-8371
FAX : 03-3541-8379
株式会社 銀座長州屋

日本刀専門店 銀座長州屋ファインスオード