天正四年琵琶湖畔の安土城に入った信長は天正五年秀吉を大将とする軍勢を中国地方に送り、天下布武を強く推進。この刀は天正五年に鍛造された長舩祐定の刀。祐定家は与三左衛門尉、源兵衛尉ら棟梁の下で結束し、戦国武将の需に応えている。強靭で刃味良く、作柄の平均点も高く、戦国期の最有力の鍛冶の一派として知られている。
この刀は身幅広く重ね厚く、鎬筋強く張り、先反り浅くついて中鋒やや延び、手持ちずしりと重く、威力を感じさせる姿。
太鑚で右上がり気味に刻された銘字は鑚枕が起って鮮やか。龍図の鐔と目貫、打楽器図の縁頭で装われた黒蝋色塗鞘の拵が付されている。
先日まで掲載していました縁頭の画像に誤りがございました。
頭の画像が別の拵の画像になっておりました。
お詫びを申し上げます。
(令和二年八月七日)
頭の画像を新たに下記に掲載いたします。