美作国 文久三年 155年前 『美作の刀剣』『美作の刀工たち』所載 『美作の刀剣』『美作の刀工たち』所載
脇差 銘 作陽士多田正則 文久三年十二月日 青貝微塵塗鞘脇差拵入
正則は多田正利の子で弘化三年の生まれ。秀之進と称し、二十歳で江戸に出て城慶子正明に作刀を学び、業成って自らも城慶子の号を許される。元治元年に没した父の跡を継ぐも、廃刀令を受けて鎚を置かざるを得ず、遺されている作は少ない。
目貫は風神雷神図
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