金工三十七景
4. 侘びと寂び


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九年母図鐔
埋忠明壽

Umetada Myoju

銘 埋忠明壽 桃山時代
素銅磨地竪丸形赤銅平象嵌赤銅覆輪 縦80ミリ 横74ミリ 切羽台厚さ3ミリ

 九年母(くねんぼ)は蜜柑科の常緑低木で、初夏に香りの高い白花をつけ、晩熟性で果皮には松脂の匂いがあり、果実は橙色の球形をしている。
 明壽は葡萄の図と共にこの九年母の図を殊に好み、その果実の完熟した姿態を自らの感性で図案化し、これを伸びやかに、左右あるいは上方に向けて無限の広がりを見せる構成として桃山時代の気風を表わし、その表現技法には、自身の思想を強く反映させたものが多くみられる。
 この鐔は、充分に吟味された色深い素銅地(すあかじ)を、構図に合わせて竪丸形の造形とし、地面(じづら)に浅く抑揚を付けて量感をもたせ、これを更に巧みな槌目地仕立てとして画面効果を高め、大粒の実をつけた九年母の樹を天地一杯に平象嵌(ひらぞうがん)の手法で表わしている。樹幹は強く上に伸び、たわわに成熟した果実は張力に溢れ、枝葉には躍動感があり、ここに嵌入された烏羽色(からすばいろ)の色金は、地面より一段浮き上がって迫力に満ち、周囲に廻らされた赤銅覆輪(ふくりん)も画面を一層引締めている。
 刀工として名を成し、時の為政者に重用され、光悦等の一流文化人とも縁戚関係を結んで華麗な人脈を築き上げ、声望を極めた明壽であったが、しかし、この空虚感は一体何であろうか…、自問自答を続ける彼が辿り着いたのは友とも師とも仰ぐ俵屋宗達の芸風。宗達は後世において所謂琳派の巨匠のように唱えられているが、茶の道を能くする宗達が目指したものは、狩野派や後の琳派のような当時流行の画風への興味よりも、むしろ大和絵と水墨画の発展にあったものといわれており、侘びの境地への道を模索していた明壽にとって、宗達との邂逅は遂に到達し得た仙郷の世界でもあった。
 素銅の素材美が放つ、渋くしかも艶やかな光彩と、明壽独自の調合による赤銅色の色金が、小空間で微妙に感応し合って一種の禅味を醸し、数奇者の情操に訴える高い精神性を内包した名鐔となっている。



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